熟《ウ》れて垂れて稲は刈られるばかり
 秋晴れの屋根を葺く
 秋風の馬に水を飲ませる
 水の味も身にしむ秋となり
・お天気がよすぎる独りぼつち
・秋の土を掘りさげてゆく
 誰もゐないでコスモスそよいでゐる
 剥《ハ》いでもらつた柿のうまさが一銭
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行乞記の重要な出来事を書き洩らしてゐた――もう行乞をやめて宿へ帰る途上で、行きずりの娘さんがうや/\しく十銭玉を一つ報謝して下さつた、私はその態度がうれしかつた、心から頭がさがつた、彼女はどちらかといへば醜い方だつた、何か心配事でもあるのか、亡くなつた父か母でも思ひ出したのか、それとも恋人に逢へなくなつたのか、とにかく、彼女に幸あれ、冀くは三世の諸仏、彼女を恵んで下さい。

 十月五日[#「十月五日」に二重傍線] 晴、行程二里、油津町、肥後屋(三五・下)

ぶらり/\と歩いて油津で泊る、午前中の行乞相はたいへんよかつたが、午後はいけなかつた。
此宿の人々はみな変人だ、あとで聞いたら変人として有名なさうだ、おかみさんは会話が嫌ひらしい。
乞食にも見放された家、さういふ家がある、それは貧富にかゝはらない、人間らしからぬ人間が住んでゐる家だ、私も時々さういふ家に立つたことがある。
その一銭をうけて、ほんたうにすまないと思ふ一銭。
秋は収穫のシーズンか、大きな腹をかゝへた女が多い、ある古道具屋に、『御不用品何でも買ひます、但し人間のこかし[#「こかし」に傍点]は買ひません』と書いてあつた、こかし[#「こかし」に傍点]とは此地方で、怠けものを意味する方言ださうな、私なぞは買はれない一人だ。
同宿のエビス爺さん、尺八老人(虚無僧さんのビラがない)、絵具屋さん、どれも特色のある人物だつた。
例のお遍路さんから、肉体のおせつたいといふ話を聞いた、ずゐぶんありがたい、いや、ありがたすぎるおせつたいだらう。
親子三人連れのお遍路さんも面白い人だつた、みんな集つて雑談の花が咲いたとき、これでどなたもブツの道ですなあといつた、ブツは仏に通じ、打つに通じる、打つは勿論、飲む買ふ打つの打つである、またいつた、虱と米の飯とを恐れては世間師は出来ませんよと、虱に食はれ、米の飯を食ふところに世間師の悲喜哀歓がある。
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秋暑い乳房にぶらさがつてゐる
よいお天気の言葉かけあつてゆく
旅は気軽い朝から唄つてゐる
ふる郷忘れがたい夕風が出た
子供と人形と猫と添寝して
日向子供と犬と仲よく
秋風の鶏を闘はせてゐる
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 十月六日[#「十月六日」に二重傍線] 晴、油津町行乞、宿は同前。

九時から三時まで行乞、久しぶりに日本酒を飲んだ、宮崎鹿児島では焼酎ばかりだ、焼酎は安いけれど日本酒は高い、私の住める場所ぢやない。
十五夜の明月も観ないで宵から寝た、酔つぱらつた夢を見た、まだ飲み足らないのだらう。
油津といふ町はこぢんまりとまとまつた港町である、海はとろ/\と碧い、山も悪くない、冬もあまり寒くない、人もよろしい、世間師のよく集るところだといふ。
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 小鳥いそがしく水浴びる朝日影
・秋が来た雑草にすわる
 子供握つてくれるお米がこぼれます
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八月十五夜は飫肥、油津、大堂津あたりでは全町総出で綱引をやる、興味ふかい年中行事の一つだと思ふ。
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明月の大綱をひつぱりあつてゐる
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 十月七日[#「十月七日」に二重傍線] 晴、行程二里、目井津、末広屋(三五・下)

雨かと心配してゐたのに、すばらしいお天気である、そここゝ行乞して目井津へ、途中、焼酎屋で藷焼酎の生一本をひつかけて、すつかりいゝ気持になる、宿ではまた先日来のお遍路さんといつしよに飲む、今夜は飲みすぎた、とう/\野宿をしてしまつた、その時の句を、嫌々ながら書いておく。
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   酔中野宿
・酔うてこほろぎといつしよに寝てゐたよ
 大地に寝て鶏の声したしや
 草の中に寝てゐたのか波の音
・酔ひざめの星がまたゝいてゐる
・どなたかかけてくださつた莚あたゝかし
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此宿はよくないが、便所だけはきれいだつた、久しぶりに気持よくしやがんでゐることが出来た。
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竹を眺めつゝ尿してゐる
ちらほら家が見え出して鵙が鋭く
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今日の珍しい話は、船おろしといふので、船頭さんの馴染女を海に追ひ入れてゐるのを見たことだつた、そして嬉しい話は、或る家の主人から草鞋をいたゞいたことだつた、油津で一足買つたことは買つたが。
このあたりの海はまつたく美しい、あまり高くない山、青く澄んで湛へた海、小さい島――南国的情緒だ、吹く風も秋風だか春風だか分らないほどの朗らかさだつた。

 十月八日[#「十月八日」に二重傍線] 晴、后曇、行程三里、榎原、栄屋(七〇・上上)

どうも気分がすぐれないので滞在しようかとも思つたが、思ひ返して一時出立、少し行乞してこゝまで来た、安宿はないから、此宿に頼んで安く泊めて貰ふ、一室一人が何よりである、家の人々も気易くて深切だ。
やうやく海を離れて山へ来た、明日はまた海近くなるが、今夜は十分山気を呼吸しよう。
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・こんなにうまい水があふれてゐる
・窓をあけたら月がひよつこり
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日向の自然はすぐれてゐるが、味覚の日向は駄目だ、日向路で食べもの飲みものゝ印象として残つてゐるのは、焼酎の臭味と豆腐の固さとだけだ、今日もその焼酎を息せずに飲み、その豆腐をやむをえず食べたが。
よく寝た、人生の幸福は何といつたとて、よき睡眠とよき食慾だ、こゝの賄はあまりいゝ方ではないけれど(それでも刺身もあり蒲鉾もあつたが)夜具がよかつた、新モスの新綿でぽか/\してゐた、したがつて私の夢もぽか/\だつた訳だ、私のやうなものには好過ぎて勿躰ないでもなかつた。

 十月九日[#「十月九日」に二重傍線] 曇、時雨、行程三里、上ノ町、古松屋(三五・上)

夜の明けないうちに眼がさめる、雨の音が聞える、朝飯を食べて煙草を吸うて、ゆつくりしてゐるうちに、雲が切れて四方が明るくなる、大したこともあるまいといふので出立したが、降つたり止んだり合羽を出したり入れたりする、そして二三十戸集つてゐるところを三ヶ所ほど行乞する、それでやつと今日の必要だけは頂戴した、何しろ、昨日は朝の別れに例のお遍路さんと飲み、行乞はあまりやらなかつたし、それにヤキがなくてリヨカンに泊つたので、一枚以上の食ひ込みだ(かういふ世間師のテクニツクを覚えて使ふのも、かういふ境涯の善し悪しだ)。
二時過ぎには宿についた、誰もが勧めるほどあつて、気持のよい家と人であつた。
傘を借り足駄を借りて、中ノ町を歩いて見る、港までは行けなかつた、福島町といふのは上ノ町、中ノ町、今町の三つを合せて延長二里に亘る田舎街である。
隣室は世間師坊主の四人組、多分ダフのゴミだらう、真言、神道、男、女、面白い組合だ。
今日の道は山路だからよかつた、萩がうれしかつた、自動車よ、あまり走るな、萩がこぼれます。
昨夜の女主人公は楽天家だつた、今夜の女主人公は家政婦らしい、子を背負うて安来節をうたふのもわるくないし、雑巾で丹念に板座を拭くのもよろしい。
一昨日、書き洩らしてはならない珍問答を書き洩らしてゐた、大堂津で藷焼酎の生一本をひつかけて、ほろ/\機嫌で、やつてくると、妙な中年男がいやに丁寧にお辞儀をした、そして私が僧侶(?!)であることをたしかめてから、問うて曰く『道とは何でせうか』また曰く『心は何処に在りますか』道は遠きにあらず近きにあり、趙州曰く、平常心是道、常済大師曰く、逢茶喫茶、逢飯食飯、親に孝行なさい、子を可愛がりなさい――心は内にあらず外にあらず、さてどこにあるか、昔、達磨大師は慧可大師に何といはれたか、――あゝあなたは法華宗ですか、では自我偈を専念に読誦なすつたらいゝでせう――彼はまた丁寧にお辞儀して去つた、私は歩きつゝ微苦笑する外なかつた。
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 まゝよ法衣は汗で朽ちた
・ゆつくり歩かう萩がこぼれる
   訂正二句
 酔うてこほろぎと寝てゐたよ
 大地したしう夜を明かしたり波の音
[#ここで字下げ終わり]
昨夜は榎原神社に参詣し、今日は束間神社に参詣した、前者は県社、後者は郷社に過ぎないが、参拝者はずゐぶんに多いと見えて、そこには二三十軒の宿屋、飲食店、土産物店が並んでゐた、かういふ場所には地方的特色が可なり濃厚に出てゐる。
同室三人、箒屋といふむつつり爺さん、馬具屋といふきよろきよろ兄さん、彼等にも亦、地方的特色が表現されてゐる。

 十月十日[#「十月十日」に二重傍線] 曇、福島町行乞、行程四里、志布志町、鹿児島屋(四〇・上)

八時過ぎてから中町行乞二時間、それから今町行乞三時間、もう二時近くなつたので志布志へ急ぐ、三里を二時間あまりで歩いた、それは外でもない、局留の郵便物を受取るためである、友はなつかしい、友のたよりはなつかしい。
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 旅の子供は夕べしく/\泣いてゐる
 旅はおかしい朝から夫婦喧嘩だ
・親によう似た仔馬かあいやついてゆく
 みんな寝てしまつてよい月夜かな
・月夜の豚がうめきつゞけてゐる
 月光あまねくほしいまゝなる虫の夜だ
 月の水をくみあげて飲み足つた
 明月の戸をかたくとざして
 故郷の人とはなしたのも夢か
 伸ばした足に触れた隣りは四国の人
 秋の白壁を高う/\塗りあげる
 松葉ちりしいてゐますお休みなさい
・松風ふいて墓ばかり
 踏むまいとしたその蟹は片輪だ
 志布志へ一里の秋の風ふく
・こゝまできてこの木にもたれる
・秋風の石を拾ふ
・人里ちかい松風の道となる
 泣く子叱つてる夕やみ
 飲まずには通れない水がしたゝる
 砂がぽこ/\旅はさみしい
   ヨタ一句
 こんなところにこんなシヤンがゐる波音
[#ここで字下げ終わり]
安宿の朝はおもしろい、みんなそれ/″\めい/\の姿をして出てゆく、保護色といふやうなことを考へざるをえない、片輪は片輪のやうに、狡いものは狡いやうに、そして、一は一のやうに!
今日の行乞相はよくもわるくもなかつた、嫌な事が四つあつた、同時にうれしい事が四つあつた、憾むらくは私自身が空の空になれない事だ、嫌も好きもあるものか。
米価の安くなる事実は私のやうなものをも考へさせる、――飫肥では弐十八銭、油津では二十五銭、上ノ町では弐十弐銭となつた(新白米では弐十銭以下だとさへ聞いた)。
今町から志布志まで三里強、日本風の海岸佳景である、一里ばかり来たところに、宮崎と鹿児島との県界石標が立つてゐる、大きなタブの樹も立つてゐる、石よりも樹により多く心を惹かれるのは私のセンチメンタリズムか、夏井の浜といふところは海水浴場としてよいらしかつた、別荘風の料理屋もあつた、浅酌低唱味を思ひ出させるに十分だ。
自動車が走る、箱馬車が通る、私が歩く。
途上、道のりを訊ねたり、此地方の事情を教へてくれた娘さんはいゝ女性だつた、禅宗――しかも曹洞宗――の寺の秘蔵子と知つて、一層うれしかつた、彼女にまことの愛人あれ。
草鞋がないのには困つたが、それでもおせつたいとしていたゞいたり、明月に供へるのを貰つたりして、どうやらかうやらあまり草履をべた/\ふまないですんだ、私も草鞋の句はだいぶ作つたが、ほんたうの草鞋の名句が出来さうなものだ。
同室三人、松葉ヱツキス売の若い鮮人は好きだつたが、もう一人は要領を得ない『山芋掘』で、うるさいから、街へ出て飲む、そしてイモシヨウチユウの功徳でぐつすり寝ることが出来た。

 十月十一日[#「十月十一日」に二重傍線] 晴、曇、志布志町行乞、宿は同前。

九時から十一時まで行乞、こんなに早う止めるつもりではなかつたけれど、巡査にやかましくいはれたので、裏町へ出て、駅で新聞を読んで戻つて来たのである(だいたい鹿児島県は行乞、押売、すべての見[#「見」に「マヽ」の注記]師の
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