、私が家の前に立つと、奥へとんでいつて一銭持つてきてくれた、そして私に先立つて歩いて家々のおくさんを探し出しては一銭を貰つてきてくれた、附添の女中も何ともすることが出来ない、私はありがたいやら、おかしいやらで、微苦笑しつゝ行乞をつゞけた。
草鞋の時代錯誤的価値、――草鞋を探し求める時にはいつもこんな事を考へる、けふも同様だつた。
此宿でも都城でも小林でも晩飯にきつとお汁を添へる、山家、或は田舎ではさういふやり方らしい(朝は無論どこでも味噌汁だ)。
九月廿六日[#「九月廿六日」に二重傍線] 晴、宿は同前。
九時から三時まで、本通りの橘通を片側づゝ行乞する、一里に近い長さの街である、途中闘牛児さんを訪ねてうまい水を飲ませて貰ふ。
宮崎は不景気で詰らないと誰もがいつてゐたが、私自身の場合は悪くなかつた、むしろよい方だつた。
夜はまた招かれて、闘牛児さんのお宅で句会、飲み食ふ会であつた、紅足馬、闘牛児、蜀羊星(今は故人)みんな家畜に縁のある雅号である、牛飲馬食ですなどゝいつて笑ひ合つた。
昨日はあれほど仲のよかつた隣室の若夫婦が、今日は喧嘩して奴[#「奴」に「マヽ」の注記]鳴つたり殴つたりしてゐる、それを聞くのが嫌なので、運悪く仲裁でもしなければならないやうになつては困るので早々湯屋へゆき、ぶら/\散歩する。
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秋暑い窓の女はきちがひか
物思ふ雲のかたちのいつかかはつて
草を草鞋をしみ/″\させるほどの雨
うまい匂ひが漂ふ街も旅の夕ぐれ
傾いた屋根の下で旅日記書いてゐる
・蚤が寝せない旅の星空
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こゝの名物、地酒を少し飲む、肥後の赤酒と同種類のものである、口あたりがよくて酔ふことも酔ふらしい、私には一杯でたくさんだつた、(地酒に対して清酒を上方酒といつてゐる)。
九月廿七日[#「九月廿七日」に二重傍線] 晴、宿は同前、宮崎神宮へ。
今日は根気よく市街を行乞した、おかげで一日や二日、雨が降つても困らないだけの余裕が出来た。
帰宿したのが四時、すぐに湯屋へ、それから酒屋へ、そしてぶら/\と歩いて宮崎神宮へ参拝した、樹木が若くて社殿は大きくないけれど、簡素な日本趣味がありがたかつた。
この町の名物、大盛うどんを食べる、普通の蕎麦茶碗に一杯盛つてたつた五銭、お代りするのはよつぽど大きな胃の腑だ、味は悪くもなければ良くもない、とにかく安い、質と量とそして値段と共に断然他を圧してゐる、いつも大入だ。
夜はまた作郎居で句会、したゝか飲んだ、しやべりすぎた、作郎氏とはこんどはとても面接の機があるまいと思つてゐたのに、ひよつこり旅から帰られたのである、予想したやうな老紳士だつた、二時近くまで四人で過ごした。
九月廿八日[#「九月廿八日」に二重傍線] 曇后晴、生目社へ。
お昼すぎまで大淀――大淀川を東に渡つたところの市街地――を行乞してから、誰もが詣る生目様へ私も詣つた、小つぽけな県社に過ぎないけれど、伝説の魅力が各地から多くの眼病患者を惹きつけてゐる、私には境内にある大楠大銀杏がうれしかつた、つく/\ぼうしが忙しくないてゐたのが耳に残つてゐる、帰途は近道を教へられて高松橋(渡し銭三銭)を渡り、景清公御廟所といふのへ参詣する、人丸姫の墓もある(景清の墓石は今では堂内におさめてある、何しろ眼薬とすべく、その墓石を削り取る人が多くて困つたので)。
今日はしつかり労れた、六里位しか歩かないのだが、脚気がまた昂じて、足が動かなくなつてしまつた、暮れて灯されてから宿に帰りついた、すぐ一風呂浴びて一杯やつて寝る。
また一つ旅のヱピソード、――この宿は子沢山で、ちよつと借りて穿くやうな下駄なんぞありやしない、やうやく自分で床下からチグハグなのを片足づゝ探し出したが、右は黒緒の焼杉、左は白緒の樫、それも歩いてゐるうちに、鼻緒も横も切れてしまつて、とう/\跣足にならなければならなかつた。
大淀の丘に登つて宮崎平原を見おろす、ずゐぶん広い、日向の丘から丘へ、水音を踏みながら歩いてゆく気分は何ともいへないものがあつた、もつともそれは五六年前の記憶だが。
昨日、篤信らしい老人の家に呼び入れて[#「れて」に「マヽ」の注記]、彼岸団子をいたゞいたこと、小豆ぬり、黄粉ぬり、たいへんおいしかつたことを書き漏らしてゐた、かういふ場合には一句なければならないところだ。
これは闘牛児さんの話である、氏の宅の井戸水はおつとりとした味を持つてゐる、以前は近隣から貰ひにくるほどの水だつたさうなが、厳父がヨリよい水を求めて掘り下げて却つてよくない水としたさうな、そしてまたそれを砂利で浅くして、やうやくこれだけの水が出るやうになつたとのことである、このあたりは水脉が浅いらしい、とにかく、掘りさげて水が悪くなつたといふ事実は或る暗示を与へる、どん底まで掘ればいゝが、生半端に掘つたところよりも、むしろ浅いところによい水が湧くこともあるといふことは知つておくがよからう。
けふは大淀駅近くの、アンテナのある家で柄杓に二杯、生目社の下で一杯、景清廟の前で二杯、十分に水を飲んだことである。
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途上即事
笠の蝗の病んでゐる
・死ぬるばかりの蝗を草へ放つ
放ちやる蝗うごかない
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今夜同宿の行商人は苦労人だ、話にソツがなくてウルホヒがある、ホントウの苦労人はいゝ。
九月廿九日[#「九月廿九日」に二重傍線] 晴、宿は同前、上印をつけてあげる。
気持よく起きて障子を開けると、今、太陽の昇るところである、文字通りに「日と共に起き」たのである、或は雨かと気遣つてゐたのに、まことに秋空一碧、身心のすが/\しさは何ともいへない、食後ゆつくりして九時から三時まで遊楽地を行乞、明日はいよ/\都会を去つて山水の間に入らうと思ふ、知人俳友にハガキを書く。
此宿は座敷も賄も、夜具も待遇もよいけれど、子供がうるさく便所の汚いのが疵だ、そしていかにも料理がまづい、あれだけの材料にもう少しの調理法を加へたならばどんなに客が満足することだらう。
今日の行乞中に二人、昨日は一人の不遜な中年女にでくわした、古い型の旧式女性から、女のしほらしさ、あたゝかさ、すなほさを除いて、何が残るか!
子供が声張りあげて草津節をうたつてゐる、「草津よいとこ一度はおぢやれ、お湯の中にも花が咲く」チヨイナ/\、ほんとうにうまいものである、私はぢつとそれに耳を傾けながら物思ひに耽つてゐるのである、――此間の年数五十年相経ち申し候だらうな。
両手が急に黒くなつた、毎日鉄鉢をさゝげてゐるので、秋日に焼けたのである、流浪者の全身、特に顔面は誰でも日に焼けて黒い、日に焼けると同時に、世間の風に焼けるのである、黒いのはよい、濁つてはかない[#「い」に「マヽ」の注記]ない。
行乞中、しば/\自分は供養をうけるに値しないことを感ぜざるをえない場合がある、昨日も今日もあつた、早く通り過ぎるやうにする、貧しい家から全財産の何分一かと思はれるほど米を与へられるとき、或はなるたけ立たないやうにする仕事場などで、主人がわざ/\働く手を休ませて蟇口を探つて銅貨の一二□を鉄鉢に投げ入れてくれるとき。……
同宿の修行遍路――いづれ炭坑夫などのドマグレで、からだには鯨青のあとがある手合だらう――酔ひしれて、宿のものを手古摺らし同宿人の眉を顰めさせてゐる、此地方では酔うて管を巻くことを山芋を掘るといふ、これも面白い言葉である。
言葉といへば此辺の言葉はアクセントが何だか妙で、私には解らないことが多い、言葉の解らない寂しさ、それも旅人のやるせなさの一つである。
九月三十日[#「九月三十日」に二重傍線] 秋晴申分なし、折生迫、角屋(旅館・中)
いよ/\出立した、市街を後にして田園に踏み入つて、何となくホツとした気持になる、山が水が、そして友が私を慰めいたはり救ひ助けてくれる。
こゝまで四里の道すがら行乞したが、すつかり労れてしまつた、おまけにボクチンに泊りそこなつて(あのボクチンのマダムは何といふ無智無愛嬌だつたらう)旅館に泊つた、一室一燈を占有して、のんびりと読んだり書いたりする、この安らかさは、二十銭三十銭には代へられない、此宿はかなり広い家だが、お客さんとしては私一人だ、主人公も家内もみな好人物だけれど、不景気風に吹きまくられてゐるらしい。
青島を見物した、檳榔樹が何となく弱々しく、そして浜万年青がいかにも生々してゐたのが印象として残つてゐる、島の井戸――青島神社境内――の水を飲んだが、塩気らしいものが感じられなかつた――その水の味もまた忘れえぬものである。
久しぶりに海を見た、果もない大洋のかなたから押し寄せて砕けて、白い波を眺めるのも悪くなかつた(宮崎の宿では毎夜波音が枕にまで響いた、私は海の動揺よりも山の閑寂を愛するやうになつてゐる)。
今日、途上で見たり聞いたり思ひついたりしたことを書きつけておかう、昔の客馬車をそのまゝ荷馬車にして老人が町から村へといろ/\の雑貨を運んでゐた、また草原で休んでゐると、年とつたおかみさんがやつてきて、占い(ウラカタ)はしないかといふ、また、或る家で、うつくしいキジ猫二匹を見た、撫でゝやりたいやうな衝動を感じた。
今日、求めた草鞋は(此辺にはあまり草鞋を売つてゐない)よかつた、草鞋がしつくりと足についた気分は、私のやうな旅人のみが知る嬉しさである、芭蕉は旅の願ひとしてよい宿とよい草鞋とをあげた、それは今も昔も変らない、心も軽く身も軽く歩いて、心おきのない、情のあたゝかい宿におちついた旅人はほんとうに幸福である。
いはゞ草鞋は時代錯誤的な履物である、そこに時代錯誤的な実益と趣味とが隠されてゐる。
このあたりの山も海もうつくしい、水も悪くない、ほんの少しの塩分を含んでゐるらしい、私のやうな他郷のものにはそれが解るけれど、地の人々には解らないさうだ、生れてから飲みなれた水の味はあまり飲みなれて解らないものらしい、これも興味のある事実である。
夜おそくなつて、国勢調査員がやつてきて、いろ/\訊ねた、先回の国勢調査は味取でうけた、次回の時には何処で受けるか、或は墓の下か、いや、墓なぞは建てゝくれる人もあるまいし、建てゝ貰ひたい望みもないから、野末の土くれの一片となつてしまつてゐるだらうか、いや/\まだ/\業が尽きないらしいから、どこかでやつぱり思ひ悩んでゐるだらう。
元坊にあげたハガキに、――とにかく俳句(それが古くても新しくても)といふものはやつぱり夏爐冬扇ですね、またそれで十分ぢやありませんか、直接其場の仕事に役立たないところに俳句のよさがあるのではないでせうか、私共はあまり考へないでその時その時の感動を句として表現したいと思ひます。
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夕日まぶしい銅像を仰ぐ
涸れはてゝ沼底の藻草となつてしまつて
波の音たえずしてふる郷遠し
波音遠くなり近くなり余命いくばくぞ
お茶を下さる真黒な手で
青島即事
・白浪おしよせてくる虫の声
[#ここで字下げ終わり]
十月一日[#「十月一日」に二重傍線] 曇、午后は雨、伊比井、田浦といふ家(七〇・中)
よう寝られて早う眼が覚めた、音のしないやうに戸を繰つて空を眺める、雨かも知れない、しかし滞留は財布が許さない、九時から十一時まで、そこらあたりを行乞、それから一里半ほど内海《ウチウミ》まで歩く、峠を登ると大海にそうて波の音、波の色がたえず身心にしみいる、内海についたのは一時、二時間ばかり行乞する、間違ひなく降り出したので教へられた家を尋ねて一泊を頼んだが、何とか彼とかいつて要領を得ない(田舎者は、yes no をはつきりいはない)、思ひ切つて濡れて歩むことまた一里半、こゝまで来たが、安宿は満員、教へられてこの家に泊めて貰ふ、この家も近く宿屋を初めるつもりらしい、投込だから木賃よりもだいぶ高い、しかし主人も妻君も深切なのがうれしかつた、何故だか気が滅入りこんでくるので、藷焼酎三杯ひつかけて、ぐつすりと寝てしまつた。
労れて宿に着いて、風呂のないのは
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