下げ終わり]
朝湯はうれしかつた、早く起きて熱い中へ飛び込む、ざあつと溢れる、こん/\と流れてくる、生きてゐることの楽しさ、旅のありがたさを感じる、私のよろこびは湯といつしよにこぼれるのである。
けふは今にも噛みつくかと思ふほど大きな犬に吠えられた、それでも態度や音声のかはらなかつたのは自分ながらうれしかつた、その家の人々も感心してくれたらしい、犬もとう/\頭を垂れてしまつた。
同宿の人が語る『酒は肥える、焼酎は痩せる』彼も亦アル中患者だ、アルコールで自分をカモフラージしなくては生きてゆけない不幸な人間だ。
鮮人か内地人か解らないほど彼は旅なれてゐた、たゞ争はれないのは言葉のアクセントだつた。
同宿の人は又語る『どうせみんな一癖ある人間だから世間師になつてゐるのだ』私は思ふ『世間師は落伍者だ、強気の弱者だ』
流浪人にとつては[#「とつては」は底本では「とっては」]食べることが唯だ一つの楽しみとなるらしい、彼等がいかに勇敢に専念に食べてゐか[#「ゐか」に「マヽ」の注記]、その様子を見てゐると、人間は生きるために食ふのぢやなくて食ふために生きてゐるのだとしか思へない、実際は人間といふものは生きることゝ、食ふことゝは同一のことになつてしまうまでので[#「ので」に「マヽ」の注記]あらうが。
とにかく私は生きることに労れて来た。

 九月十九日[#「九月十九日」に二重傍線] 晴、小林町、川辺屋(四〇・中)

いかにも秋らしいお天気である、心もかろく身もかろく午前中三時間、駅附近を行乞する、そして十二時の汽車で小林町へ、また二時間行乞。
此宿は探しまはつて探しあてたゞけあつてよかつた、食べものは近来にないまづさであるが、一室一燈を占有してゐられるのが、私には何よりうれしい。
夜はだいぶ飲んだ、無何有郷を彷徨した、アルコールがなくては私の生活はあまりにさびしい、まじめですなほな私は私自身にとつてはみじめで仕方がない。

 九月廿日[#「九月廿日」に二重傍線] 晴、同前。

小林町行乞、もう文なしだからおそくまで辛抱した、かうした心持をいやしいとは思ふが、どうしようもない、もつとゆつたりとした気分にならなければ嘘だ、けふの行乞はほんとうにつらかつた、時々腹が立つた、それは他人に対するよりも自分に対しての憤懣であつた。
夜はアルコールなしで早くから寝た、石豆腐(此地方の豆腐は水に入れてない)を一丁食べて、それだけでこぢれた心がやわらいできた。
このあたりはまことに高原らしい風景である、霧島が悠然として晴れわたつた空へ盛りあがつてゐる、山のよさ、水のうまさ。
西洋人は山を征服[#「征服」に傍点]しようとするが、東洋人は山を観照[#「観照」に傍点]する、我々にとつては山は科学の対象でなくて芸術品である、若い人は若い力で山を踏破せよ、私はぢつと山を味ふのである。
[#ここから2字下げ]
・かさなつて山のたかさの空ふかく
 霧島に見とれてゐれば赤とんぼ
 朝の山のしづかにも霧のよそほひ
 チヨツピリと駄菓子ならべて鳳仙花
 旅はさみしい新聞の匂ひかいでも
 山家明けてくる大粒の雨
 重荷おもかろ濃き影ひいて人も馬も
 朝焼け蜘蛛のいとなみのいそがしさ
・泣きわめく児に銭を握らし
 蒸し暑い日の盗人つかまへられてしまつた
 こんなにたくさん子を生んではだか
 死にそこなつて虫を聴いてゐる
[#ここで字下げ終わり]

 九月廿一日[#「九月廿一日」に二重傍線] 曇、雨、彼岸入、高崎新田、陳屋(四〇・上)

九時の汽車で高原へ、三時間行乞、そして一時の汽車で高崎新田へ、また三時間行乞。
高原も新田も荒涼たる村の町である、大きな家は倒れて住む人なく、小さい家は荒れゆくまゝにして人間がうようよしてゐる、省みて自分自身を恥ぢ且つ恐れる。
[#ここから3字下げ]
霧島は霧にかくれて赤とんぼ
病人連れて秋雨のプラツトホーム
[#ここで字下げ終わり]
霧島は霧にかくれて見えない、たゞ高原らしい風が法衣を吹いて通る、あちらを見てもこちらを見ても知らない顔ばかり、やつぱりさびしいやすらかさ、やすらかなさびしさに間違いない。
此宿は満員だといふのを無理に泊めて貰つた、よかつた、おばあさんの心づくしがうれしい。
此宿のおかみさんは感心だ(今の亭主は後入らしい)、息子を商業学校に、娘を女学校にやつてゐる、しかし息子も娘もあまりよい出来ではないらしいが。
今[#「今」に「マヽ」の注記]の旅のヱピソードとしては特種があつた。――
小林駅で汽車を待合してゐると、洋服の中年男が近づいてきた、そしていやににこ/\して、いつしよに遊ばうといふ、私が菩提銭を持つてゐると思つたのか、或は遊び仲間によ□□思つたのか、とにかく、奇怪な申出である、あまりしつこいので断るに困つた、――何と旅はおもしろい事がある!

 九月廿二日[#「九月廿二日」に二重傍線] 晴、曇、都城市、江夏屋(四〇・中)

七時出立、谷頭まで三里、道すがらの風光をたのしみながら歩く、二時間行乞、例の石豆腐を食べる、庄内町まで一里、また三時間行乞、すつかりくたぶれたけれど、都城留置の手紙が早くみたいので、むりにそこまで二里、暮れて宿についた、そしてすぐまた郵便局へ、――友人はありがたいとしみ/″\思つた。
けふはぞんぶんに水を飲んだ、庄内町の自動車乗場の押揚ポンプの水はよかつた、口づけて飲む山の水には及ばないけれど。
こゝへ来るまでの道で逢つた学校子供はみんなはだしだつた、うれしかつた、ありがたかつた。
けふもまた旅のヱピソードの特種一つ、――宿をさがして急いでゐるうちにゆきあつた若い女の群、その一人が『あう』といふ、熊本のカフヱーでみたことのある顔だ、よく覚えてゐましたね、いらつしやいといひましたね、さてあなたはどこでしたかね。
同宿十余人、同室一人、隣室二人、それ/″\に特徴がある、虚無僧さんはよい、ブラ/\さんもわるくない、坊さんもわるくない、少々うるさいけれど。

 九月廿三日[#「九月廿三日」に二重傍線] 雨、曇、同前。

八時から二時まで都城の中心地を行乞、こゝは市街地としてはなか/\よく報謝して下さるところである。
今日の行乞相はよかつた、近来にない朗らかさである、この調子で向上してゆきたい。
一杯二杯三杯飲んだ(断つておくが藷焼酎だ)、いゝ気持になつて一切合切無念無想。
[#ここから2字下げ]
   きのふけふのぐうたら句
 糸瓜の門に立つた今日は(子規忌)
・旅の宿の胡椒のからいこと
・羽毛《ハネ》むしる鶏《トリ》はまだ生きてゐるのに
・しんじつ秋空の雲はあそぶ
 あかつきの高千穂は雲かげもなくて
 お信心のお茶のあつさをよばれる
 芋虫あつい道をよこぎる
 竹籔の奥にて牛が啼いてるよ
・露でびつしより汗でびつしより
[#ここで字下げ終わり]
夜は教会まで出かけて、本間俊平氏の講演を聴く喜びにあつたが、しかし幻滅でないとはいへなかつた、予期したよりも世間並過ぎ上手過ぎてゐはしないだらうか、私は失礼とは思つたが中座した。
やつぱり飲み過ぎた、そして饒舌り過ぎた、どうして酒のうまさと沈黙の尊さと、そして孤独のよろしさとに徹しえないのだ。
同宿の坊さんはなか/\の物知りである、世間坊主としては珍らしい、たゞ物を知つてゐて物を味はつてゐない、酒好きで女好きで、よく稼ぎもするがよく費ひもする、もう一人の同宿老人は気の毒な身の上らしい、小学校長で敏腕家の弟にすがりつくべくあせつてゐる、煙草銭もないらしい一服二服おせつたいしてあげた。
酔ふた気分は、といふよりも酔うて醒めるときの気分はたまらなく嫌だけれど、酔ふたゝめに睡れるのはうれしい、アルコールをカルモチンやアダリンの代用とするのはバツカスに対して申訳ないが。

 九月廿四日[#「九月廿四日」に二重傍線] 晴、宿は同前。

藷焼酎のたゝりで出かけたくないのを無理に草鞋を穿く、何といふウソの生活だ、こんなウソをくりかへすために行乞してゐるのか、行乞してゐて、この程度のウソからさへ脱離しえないのか。
昼食の代りにお豆腐をいたゞく、そして幾度も水を飲んだ、そのおかげで、だいぶ身心が軽くなつた。
今日は彼岸の中日、願蔵寺といふかなり大きな寺院の境内には善男善女がたくさん参詣してゐた、露店も五六あつた、私はそこでまたしても少年時代を思ひ起して、センチになつたことを白状する。
[#ここから2字下げ]
・投げ与へられた一銭のひかりだ
・馬がふみにじる草は花ざかり
[#ここで字下げ終わり]
朝一杯、昼一杯、晩一杯、一杯一杯また一杯で一杯になつてしまふのだらう。
心境はうつりかはつてゆく、しかしなか/\ひらけない、水は流れるまゝに流れてゆけ。
けふも旅のヱピソード――行乞漫談の材料が二つあつた、或るカフヱーに立つ、女給二三人ふざけてゐてとりあはない、いつもならばすぐ去るのだけれど、こゝで一つ根くらべをやるつもりで、まあユーモラスな気分で観音経を読誦しつゞけた、半分ばかり読誦したとき、彼女の一人が出て来て一銭銅貨を鉄鉢に入れやうとするのを『ありがたう』といつて受けないで『もういたゞいたもおなじですから、それは君にチツプとしてあげませう』といつたら、笑つてくれた、私も笑つた、少々嫌味だけれど、ナンセンスの一シーンとしてはどうだらうか、もう一つの話は、お寺詣りのおばあさんが、行きずりに二銭下さつた、見るとその一つは黒つぽくなつた五銭の旧白銅貨である、呼びとめてお返しするとおばあさん喜んで外の一銭銅貨を二つ下さつた、彼女も嬉しさうだつたが、私も嬉しかつた。
今晩は特別の下好物として鰯と茗荷とを買つた、焼鰯五尾で弐銭、茗荷三つで一銭、そして醤油代が一銭、合計四銭の御馳走也。

 九月廿五日[#「九月廿五日」に二重傍線] 雨、宮崎市、京屋(三五・上)

たいして降りさうもないので朝の汽車に乗つたが、とう/\本降りになつた、途中の田野行乞もやめて一路宮崎まで、そして杉田さんを訪ねたが旅行中で会へない、更に黒木さんを訪ねて会ふ、それからこゝへ泊る。
けふは雨で散々だつた、合羽を着けれど、草鞋のハネが脚絆と法衣をメチヤクチヤにした、宿の盥を借りて早速洗濯する、泣いても笑つても、降つても照つても独り者はやつぱり独り者だ。
こゝは水が悪いので困る、便所の汚ないのにも閉口する、座敷は悪くない、都城でのはれ/″\しさはないけれど。
列車内で乗越切符書換してくれた専務車掌さんには好感が持てた、どこといつていひどころのないよさがあつた、禅の話は好きで得るところが多いなどゝも語つた。
宮崎県の文化はたしかに後れてゐる、そして道を訊ねても教へ方の下手、或は不深切さが早[#「早」に「マヽ」の注記]敢ない旅人を寂しがらせる、たゞ町名標だけは間違ひなく深切だつたが。
隣室の若夫婦、逢うて直ぐ身の上話を初める、失敗つゞきの不運をかこつ、彼等は襤褸を着て故郷に帰つたところだ、まあ、あまり悲観しないで運のめぐつてくるをお待ちなさい、などゝ、月並の文句を云つて慰める。
雨そのものは悪くないけれど、雨の窓でしんみりと読んだり考へたりすることは好きだけれど、雨は世間師を経済的に苦しめる、私としては行乞が出来ない、今日も汽車賃八十銭、宿料五十銭、小遣二三十銭は食ひ込みである、幸にして二三日前からの行乞で、それだけの余裕はあつたけれど。
子供が泣く、ほんたうに嫌だ、私は最も嫌ひなものとしては、赤子の泣声を[#「を」に「マヽ」の注記]或る人の問に答へたことがある。
夜になつて、紅足馬、闘牛児の二氏来訪、いつしよに笑楽といふ、何だか固くるしい料理屋へゆく、私ひとりで飲んでしやべる、初対面からこんなに打ち解けることが出来るのも層雲のおかげだ、いや俳句のおかげだ、いや/\、お互の人間性のおかげだ! だいぶおそくなつて、紅足馬さんに送られて帰つて来た、そしてぐつすり寝た。
旅のヱピソードの一つとして、庄内町に於ける小さい娘の児の事を書き添へておかう、彼女はそこのブルの秘蔵娘らしかつた、まだ学齢には達しないらしいけれど、愛嬌のある茶目子だつた
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