んに逢へる、元気よく山ノ上町へ急ぐ、坑内長屋の出入はなか/\やかましい(苦味生さんの言のやうに、一種の牢獄といへないことはない)、やうやくその長屋に草鞋を脱いだが、その本人は私を迎へるために出かけて留守だつた、母堂の深切、祖母さんの言葉、どれもうれしかつた、句稿を書き改めてゐるうちに苦味生さん帰宅、さつそく一杯二杯三杯とよばれながら話しつゞける、――苦味生さんには感服する、あゝいふ境遇であゝいふ職業で、そしてあゝいふ純真さだ、彼と句とは一致してゐる、私と句とが一致してゐるやうに。
入浴して散歩する、話しても話しても話し飽かないほど、二人は幸福であり平和であつた、彼等に幸福と平和とがつゞくことを祈る。
夜は苦味生さんの友人末光さんのところへ案内されて泊めていたゞいた、久しぶりに、ほんたうに久しぶりに田園のしづけさしたしさを味はつた、農家の生活が最も好ましい生活ではあるまいか、自から耕して自から生きる、肉体の辛さが精神の安けさを妨げない、――そんな事を考へながら、飲んだり話したり作つたりした。
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・霜の道べりへもう店をひろげはじめた
大霜、あつまつて火を焚きあげる
つめたい眼ざめの虱を焼き殺す
・師走ゆきこの捨猫が鳴いてゐる
よい事も教へられたよいお天気
・霧、煙、埃をつきぬける
・石地蔵尊へもパラソルさしかけてある
のぼりくだりの道の草枯れ
明るくて一間きり(苦味生居)
・柵をくゞつて枯野へ出た
子供になつて馬酔木も摘みます
夕闇のうごめくは戻る馬だつた
八十八才の日向のからだである(苦味生さん祖母)
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さびしいほどのしづかな一夜だつた、緑平さんへ長い手紙を書く、清算か決算か[#「清算か決算か」に傍点]、とにかく私の一生も終末に近づきつゝあるやうだ、とりとめもない悩ましさで寝つかれなかつた、暮鳥詩集を読んだりした、彼も薄倖な、そして真実な詩人だつたが。
我儘[#「我儘」に傍点]といふことについて考へる、私はあまり我がまゝに育つた、そしてあまり我がまゝに生きて来た、しかし幸にして私は破産した、そして禅門に入つた、おかげで私はより我がまゝになることから免がれた、少しづゝ我がまゝがとれた、現在の私は一枚の蒲団をしみ/″\温かく感じ、一片の沢庵切をもおいしくいたゞくのである。
十二月十五日[#「十二月十五日」に二重傍線] 晴、行程二里、そして汽車、熊本市、彷徨。
けふも大霜で上天気である、純な苦味生さんと連れ立つて荒尾海岸を散歩する(末光さんも純な青年だつた、きつと純な句の出来る人だ)、捨草を焚いて酒瓶をあたゝめる、貝殻を拾つてきて別盃をくみかはす、何ともいへない情緒だつた。
苦味生さんの好意にあまえて汽車で熊本入、百余日さまよいあるいて、また熊本の土地をふんだわけであるが、さびしいよろこびだ、寥平さんを訪ねる、不在、馬酔木さんを訪ねて夕飯の御馳走になり、同道して元寛さんを訪ねる、十一時過ぎまで話して別れる、さてどこに泊らうか、もうおそくて私の泊るやうな宿はない、宿はあつても泊るだけの金がない、まゝよ、一杯ひつかけて駅の待合室のベンチに寝ころんだ、ずゐぶんなさけなかつたけれど。……
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・あてもなくさまよう笠に霜ふるらしい
寝るところがみつからないふるさとの空
・火が燃えてゐる生き物があつまつてくる
□
起きるより火を焚いて
悪水にそうて下る(万田)
磯に足跡つけてきて別れる
耕す母の子は土をいぢつて遊ぶ
明日の網をつくらうてゐる寒い風
別れきてからたちの垣
身すぎ世すぎの大地で踊る
・夕べの食へない顔があつまつてくる
・霜夜の寝床が見つからない
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十二月十六日[#「十二月十六日」に二重傍線] 晴、行程三里、熊本市、本妙寺屋(四〇・下)
堅いベンチの上で、うつら/\してゐるうちにやうやく朝が来た、飯屋で霜消し一杯、その元気で高橋へ寝床を探しにゆく、田村さんに頼んでおいて、ひきかへして寥平さんを訪ねる、今日も逢へない、茂森さんを訪ね、夫婦のあたゝかい御馳走をいたゞく、あまりおそくなつては、今夜も夜明しするやうでは困るので、いそいで本妙寺下の安宿を教へられて泊る、悪い宿だけれど仕方がない、更けるまで寝つかれないので読んだ(書くほどの元気はなかつた)。
こんど熊本に戻つてきて、ルンペンの悲哀をつく/″\感じた、今日一日は一句も出来なかつた。
十二月十七日[#「十二月十七日」に二重傍線] 霜、晴、行程六里、堕地獄、酔菩薩。
朝、上山して和尚さんに挨拶する(昨夜、挨拶にあがつたけれど、お留守だつた)、和尚さんはまつたく老師だ、慈師だ、恩師だ。
茅野村へ行つて土地を見てまはる、和尚さんが教へて下さつた庵にはもう人がはいつてゐた、そこからまた高橋へゆく、適当な家はなかつた、またひきかへして寥平さんを訪ねる、後刻を約して、さらに稀也さんを訪ねる、妙な風体を奥さんや坊ちやんやお嬢さんに笑はれながら、御馳走になる、いゝ気持になつて(お布施一封までいたゞいて)、寥平さんを訪ねる、二人が逢へば、いつもの形式で、ブルジヨア気分になりきつて、酒、酒、女、女、悪魔が踊り菩薩が歌ふ、……寝た時は仏だつたが、起きた時は鬼だつた、ぢつとしてはゐられないので池上附近を歩いて見る、気に入つた場所だつた、空想の草庵を結んだ。……
今日も一句も出来なかつた、かういふあはたゞしい日に一句でも生れたら嘘だ、ちつとも早くおちつかなければならない。
自分の部屋が欲しい、自分の寝床だけは持たずにはゐられない、――これは私の本音だ。
十二月十八日[#「十二月十八日」に二重傍線] 雨、后、晴、行程不明、本妙寺屋(悪いね)
終日歩いた、たゞ歩いた、雨の中を泥土の中を歩きつゞけた、歩かずにはゐられないのだ、ぢつとしてゐては死ぬる外ないのだ。
朝、逓信局を訪ねる、夜は元寛居を訪ねる、煙草からお茶、お酒、御飯までいたゞく、私もいよ/\乞食坊主になりきれるらしい、喜んでいゝか、悲しの[#「しの」に「マヽ」の注記]か、どうでもよろしい、なるやうになれ、なりきれ、なりきれ、なりきつてしまへ。
十二月十九日[#「十二月十九日」に二重傍線] 晴、行程二里、川尻町、砥用屋(四〇・中)
まつたく一文なしだ、それでもおちついたもので、ゆう/\と西へ向ふ、三時間ばかり川尻町行乞、久しぶりの行乞だ、むしやくしやするけれど、宿銭と飯代とが出来るまで、やつと辛抱した。
宿について、湯に入つて、ほつとする、行乞は嫌だ、流浪も嫌だ、嫌なことをしなければならないから、なほ/\嫌だ。
安宿といふものは面白いところだ、按摩さん、ナフタリン売、土方のワタリ、へぼ画家、お遍路さん、坊主、鮮人、等、等、そして彼等の話の、何とみじめで、そして興ふかいことよ。
十二月二十日[#「十二月二十日」に二重傍線] 雨、曇、晴、行程四里、本妙寺屋(可、不可、四〇・下、上)
雨に間違いない空模様である、気の強い按摩さん兼遊芸人さんは何のこだはりもなく早く起きて出ていつた、腰を痛めてゐる日本的鮮人は相かはらず唸つてゐる、――間もなく降りだした、私は荷物をあづけて、雨支度をして出かけた、川尻――春竹――砂取――新屋敷――休みなしに歩いたが、私にふさはしい部屋も家もなか/\見つからない、夕方、逓信局に馬酔木さんを訪ね、同道してお宅で晩餐の御馳走になる、忙しい奥さんがこれだけの御馳走をして下さつたこと、馬酔木さんが酒好きの私の心持を察して飲まして下さつたこと、そして舅さんが何かと深切に話しかけて下さつたこと、ありがたい、/\、そしてまた同道して元寛居へ推参する、雑談にも倦んでそれ/″\の寝床へいそぐ、おちつけない一日々々である、あはたゞしい一日々々である、よき食慾とよき睡眠、そしてよき食物とよき寝床。
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・今夜の寝床を求むべくぬかるみ
与へられた寝床の虱がうごめく
・降つたり照つたり死場所をさがす
狂人《キチガイ》が銭を数へてるま夜中の音
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嫌な夢から覚めたら嫌な声がするので、何ともいへない気分になつた、嫌な一夜、それはおちつかない一日の正しい所産だ。
十二月廿一日[#「十二月廿一日」に二重傍線] 晴后曇、行程五里、熊本市。
昨夜、馬酔木居で教へられた貸家を見分すべく、十時、約束通り加藤社で雑誌を読みながら待つてゐたら、例のスタイルで元寛さんがやつてきた(馬酔木さんはおくれて逢へなかつたので残念)、連れ立つて出町はづれの若い産婆さん立石嬢を訪ね、案内されて住む人もなく荒れるにまかした農家作りの貸家へ行く、とても住めさうにない、広すぎる、暗すぎる――その隣家の一室に間借して独占してゐる五高生に同宿を申込んで家主に交渉して貰ふ、とても今日の事にはな[#「はな」に「マヽ」の注記]い、数日後を約して、私は川尻へ急行する、途中一杯二杯三杯、宿で御飯を食べて寝床まで敷いたが、とても睡れさうもないし、引越の時の事もあるので、電車でまた熊本へ舞ひ戻る、そして彼女を驚かした、彼女もさすがに――私は私の思惑によつて、今日まで逢はなかつたが――なつかしさうに、同時に用心ぶかく、いろ/\の事を話した、私も労れと酔ひとのために、とう/\そこへ寝込んでしまつた、たゞ寝込んでしまつたゞけだけれど、見つともないことだつた、少くとも私としては恥ざらしだつた。
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枯草ふんで女近づいてくる
枯草あたゝかう幸福な二人で(元寛君へ)
・住みなれて枯野枯山
・道はでこぼこの明暗
・ふりかへるふるさとの山の濃き薄き
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十二月廿二日[#「十二月廿二日」に二重傍線] 曇、晴、曇、小雪、行程五里、本妙寺屋。
一歩々々がルンペンの悲哀だつた、一念々々が生存の憂欝だつた、熊本から川尻へ、川尻からまた熊本へ、逓信局から街はづれへ、街はづれから街中へ、そして元寛居であたゝかいものをよばれながらあたゝかい話をする、私のパンフレツト三八九、私の庵の三八九舎もだん/\具体化してきた、元坊の深切、和尚さんの深切に感謝する、義庵老師が最初の申込者だつた!
寒くなつた、冬らしいお天気となつた、風、雪、そして貧!
十二月廿三日[#「十二月廿三日」に二重傍線] 曇、晴、熊本をさまよふてSの家で、仮寝の枕!
けふも歩きまはつた、寝床、寝床、よき睡眠の前によき寝床がなければならない、歩いても/\探しても/\寝床が見つからない、夕方、茂森さんを訪ねたら出張で不在、詮方なしに、苦しまぎれに、すまないと思ひながらSの家で泊る。
十二月廿四日[#「十二月廿四日」に二重傍線] 雨、彷徨何里、今夜もSの厄介、不幸な幸福か。
また清水村へ出かけてA家を訪問する、森の家を借りるために、――なか/\埓があかない、ブルヂヨアぶりも気にくはない、パンフレツトをだすのに不便でもある、――すつかり嫌になつて方々を探しまはる、九品寺に一室あつたけれど、とてもおちつけさうにない、それからまた方々を探しまはつて、もう諦めて歩いてゐると、春竹の植木畠の横丁で、貸二階の貼札を見つけた、間も悪くないし、貸主も悪くないので、さつそく移つてくることにきめた、といつて一文もない、緑平さんの厚情にあまえる外ない。
十二月廿五日[#「十二月廿五日」に二重傍線] 晴、引越か家移か、とにかくこゝへ、春竹へ。
緑平さんの、元寛さんの好意によつて、Sのところからこゝへ移つて来ることが出来た。……
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大地あたゝかに草枯れてゐる
・日を浴びつゝこれからの仕事考へる
追加一句
歩きつかれて枯草のうへでたより書く
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だん/\私も私らしくなつた、私も私の生活らしく生活するやうになつた、人間のしたしさよさを感じないではゐられない、私はなぜこんなによい友達を持つてゐるのだらうか。
十二月廿六日[#「十二月廿六日」に二重傍線] 晴、しづかな時間が
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