物、彷徨五里、時雨亭居。

眼がさめて、あたりを見まはすと、層雲文庫[#「層雲文庫」に傍点]の前だ、酒壺洞君は寝たまゝでラヂオを聞いてゐる、私にも聴かせてくれる、今更ながら機械の力に驚かずにはゐられない、九時、途中で酒君に別れて、雨の西公園を見物する、それからまた歩きつゞけて、名島の無電塔や飛行場見物、ちようど郵便飛行機が来たので、生れて初めて、飛行機といふものを近々と見た。
時雨亭さんは神経質である、泊るのは悪いと思つたけれど、やむなく今夜は泊めて貰ふ、酒壺洞君もやつてきて、十二時頃まで話す。
今日は朝のラヂオから夕の飛行機まで、すつかり近代科学の見物だつた、無論、赤毛布! いや黒合羽だつた!
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 朝の木の実のしゞま
 降るまゝ濡れるまゝで歩く
・赤い魚すぐ売れた
 泥をあびせられつゝ歩くこと
・雨の公園のロハ台が見つからない
・すさんだ皮膚を雨にうたせる
・ふけてアスフアルトも鈴蘭燈もしぐれます
・さんざしぐれる船が出てゆく
・死ねない人の鈴《レイ》が鳴る
 墓をおしのけレールしく
 松原ほしいまゝな道を歩く(名島風景)
・正しく並んで烟吐く煙突四本( 〃 )
 飛行機着いたよ着いたよ波
 飛行機飛んで行つた虹が見える
 無電塔、またしぐれだした
 蚤も虱もいつしよに寝ませう
 暮れ残る頂の枯すゝき
 すさまじい響の大空曇る
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時雨亭さんは近代人、都会人であることに疑いない、あまり神経がこまかくふるへるのが対座してゐる私の神経にもつたはつて、時々私自身もやりきれないやうに感じけ[#「じけ」に「マヽ」の注記]れど、やつぱり好意の持てる人である。

 十二月七日[#「十二月七日」に二重傍線] 晴、行程四里、二日市町、わたや(三〇・中)

早く眼は覚めたが――室は別にして寝たが――日曜日は殊に朝寝する時雨亭さんに同情して、九時過ぎまで寝床の中で漫読した、やうやく起きて、近傍の大仏さんに参詣して回向する、多分お釈迦さんだらうと思ふが、大衆的円満のお姿である、十一時近くなつて、送られて出立する、別れてから一時頃まで福岡の盛り場をもう一度散歩する、かん酒屋に立ち寄つて、酢牡蠣で一杯やつて、それでは福岡よ、さよなら!
ぽか/\と小春日和だ、あまり折れ曲りのない道をこゝまで四里、酔が醒めて、長かつた、労いた[#「いた」に「マヽ」の注記]、夕飯をすまして武蔵温泉まで出かけて一浴、また一杯やつて寝る。
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 朝日かゞやく大仏さまの片頬
 まともに拝んで、まはつて拝む大仏さま
 師走の街のラヂオにもあつまつてゐる
・小春日有縁無縁の墓を洗ふ
 送らるゝぬかるみの街
 おいしいにほひのたゞよふところをさまよふ
 ぬかるみもかはくけふのみち
・近づいてゆく山の紅葉の残つてゐる
・どつかりと腰をおろしたのが土の上で
・三界万霊の石塔傾いてゐる
 ころがつてゐる石の一つは休み石
・酔がさめて埃つぽい道となる
 からだあたゝまる心のしづむ(武蔵温泉)
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福岡の中州をぶら/\歩いてゐると、私はほんたうに時代錯誤的だと思はずにはゐられない、乞食坊主が何をうろ/\してると叱られさうな気がする(誰に、――はて誰にだらう)。
すぐれた俳句は――そのなかの僅かばかりをのぞいて――その作者の境涯を知らないでは十分に味はへないと思ふ、前書なしの句といふものはないともいへる、その前書とはその作者の生活である、生活といふ前書のない俳句はありえない、その生活の一部を文字として書き添へたのが、所謂前書である。

 十二月八日[#「十二月八日」に二重傍線] 晴后曇、行程四里、松崎、双之介居。

八時頃、おもたい地下足袋でとぼ/\歩きだした、酒壺洞君に教へられ勧められて双之介居を訪ねるつもりなのである、やうやく一時過ぎに、松崎といふ田舎街で『歯科口腔専門医院』の看板を見つける、ほんたうに、訪ねてよかつた、逢つてよかつたと思つた、純情の人双之介に触れることが出来た(同時に酔つぱらつて、グウタラ山頭火にも触れていたゞいたが)、まちがいのないセンチ、好きにならずにはゐられないロマンチシズム、あまりにうつくしい心の持主で、醜い自分自身を恥ぢずにはゐられない双之介、ゆたかな芸術的天分を発揮しないで、恋愛のカクテルをすゝりつゝある人――さういつたものを、しんみりと感じた。
開業所、宿泊所、飲食所、それがみんな別々なのも面白い、いかにも双之介的らしい、このあたりは悪くない風景だが、太刀洗が近いので、たえず爆音が聞えるのは困る。……
昨日今日は近代科学に脅やかされた、その適切な一例として、右は汽車が走る、左は電車が走る、そのまんなかを自動車が走る、法衣を着て網代笠をかかつた私が閉口するのも無理はあるまい、閉口しなければウソだ。
道を訊ねる、答へる人の人間的価値がよく解る、今日も度々道を訊ねたが、中年の馬車挽さんは落第、若い行商人は満点だつた、教へるならば、深切に、人情味のある答を望むのは無理かな。
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 しんせつに教へられた道の落葉
・つめたい雨のうつくしい草をまたぐ
 大木に腰かけて旅の空
 立札の下手くそな文字は「節倹」
 山茶花散つて貧しい生活
 坊さん二人下りたゞけの山の駅の昼(追加)
 大金持の大樅の木が威張つてゐる
・空の爆音尿してゐる(太刀洗附近)
・たゝへた水のさみしうない
 また逢つた薬くさいあんたで(追加)
・降るもよからう雨がふる
 夕空低う飛んで戻た[#「戻た」に「マヽ」の注記](飛行機)
 暮れてもまだ鳴きつゞける鵙だ
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今夜は酔ふた、すつかり酔つぱらつて自他平等、前後不覚になつちやつた、久しぶりの酔態だ、許していたゞかう。

 十二月九日[#「十二月九日」に二重傍線] 雨后晴、双之介居滞在(本郷上町今村氏方)

よい一日だつた、勧められるまゝに滞在した、酒を飲んで物を考へて、さてどうしようもないが、どうしようもないまゝでよかつた、日記をつけたり、近所のお寺へまゐつたりした、……そして田園情調を味はつた、殊に双之介さんが帰つて、床を並べて、しんみり話し合つてゐるところへ、家の人から御馳走になつた焼握飯《ヤキムスビ》はおいしかつた。
双之介さんと対座してゐると、人間といふものがなつかしうなる、それほど人間的温情の持主だ、同宿の田中さん(双之介さんと同業の友達)もいゝ人物だつた、若さが悩む悶えを聞いた。
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みあかしゆらぐなむあみだぶつ(お寺にて)
自動車まつしぐらに村の夕闇をゆるがして行つた
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 十二月十日[#「十二月十日」に二重傍線] 晴、行程六里、善導寺、或る宿(二五・中)

九時近くなつて、双之介さんに送られて、田主丸の方へ向ふ、別れてから、久しぶりに行乞を初めたが、とても出来ないので、すぐ止めて、第十九番の札所に参拝する、本堂庫裡改築中で落ちつきがない、まあ市井のお観音様といつた感じである、こゝから箕ノ山の麓を善導寺までの三里は田舎路らしくてよかつた、箕ノ山といふ山はおもしろい、小さい山があつまつて長々と横は[#「横は」に「マヽ」の注記]つてゐるのである、陽をうけて、山脈が濃淡とり/″\なのもうつくしかつた、途中、第十八番の札所へ詣るつもりだつたが、宿の都合が悪く、日も暮れかけたので、急いで此宿を探して泊つた、同宿者が多くてうるさかつた、日記を書くことも出来ないのには困つた、床についてからも嫌な夢ばかり見た、四十九年の悪夢だ、夢は意識しない自己の表現だ、何と私の中には、もろ/\のものがひそんでゐることよ!
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・旅は雀もなつかしい声に眼ざめて
・落葉うづたかく御仏ゐます
・行き暮れて水の音ある
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 十二月十一日[#「十二月十一日」に二重傍線] 晴、行程七里、羽犬塚、或る宿(二〇・中ノ上)

朝早く、第十八番の札所へ拝登する、山裾の静かな御堂である、札所らしい気分になる、そこから急いで久留米へ出て、郵便局で、留置の雑誌やら手紙やらを受け取る、こゝで泊るつもりだけれど、雑踏するのが嫌なので羽犬塚まで歩く、目についた宿にとびこんだが、きたなくてうるさいけれど、やすくてしんせつだつた。
霜――うらゝか――雲雀の唄――櫨の並木――苗木畑――果実の美観――これだけ書いておいて、今日の印象の備忘としよう。
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・大霜の土を掘りおこす
 枯草ふみにじつて兵隊ごつこ
 うらゝかな今日の米だけはある
 さうろうとしてけふもくれたか
 街の雑音も通り抜けて来た
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 十二月十二日[#「十二月十二日」に二重傍線] 晴、行程六里、原町、常盤屋(三〇・中)

思はず朝寝して出立したのはもう九時過ぎだつた、途中少しばかり行乞する、そして第十七番の清水寺へ詣でる、九州西国の札所としては有数の場所だが、本堂は焼失して再興中である、再興されたら、随分見事だらう、こゝから第十六番への山越は□□□にない難路だつた、そこの尼さんは好感を与へる人だつた、こゝからまた清水寺へ戻る別の道も難路だつた、やうやく前の道へ出て、急いでこゝに泊つた、共同風呂といふのへはいつた、酒一合飲んだらすつかり一文なしになつた、明日からは嫌でも応でも行乞を続けなければならない。
行乞! 行乞のむづかしさよりも行乞のみじめさである、行乞の矛盾[#「行乞の矛盾」に傍点]にいつも苦しめられるのである、行乞の客観的意義は兎も角も、主観的価値に悩まずにゐられないのである、根本的にいへば、私の生存そのものゝ問題である(酒はもう問題ではなくなつた)。
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・日向の羅漢様どれも首がない(清水寺)
・山道わからなくなつたところ石地蔵尊
 明日は明日のことにして寝ませうよ
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遍路山道の石地蔵尊はありがたい、今日は石地蔵尊に導かれて、半里の難路を迷はないで巡拝することが出来た。
今夜の宿も困つた、やつと蝋燭のあかりで、これだけ書いた、こんなことにも旅のあはれが考へられる。……

 十二月十三日[#「十二月十三日」に二重傍線] 曇、行程四里、大牟田市、白川屋( [#「 」に「マヽ」の注記]  )

昨夜は子供が泣く、老爺がこづく、何や彼やうるさくて度々眼が覚めた、朝は早く起きたけれど、ゆつくりして九時出立、渡瀬行乞、三池町も少し行乞して、普光寺へ詣でる、堂塔は見すぼらしいけれど景勝たるを失はない、このあたりには宿屋――私が泊るやうな――がないので、大牟田へ急いだ、日が落ちると同時に此宿へ着いた、風呂はない、風呂屋へ行くほどの元気もない、やつと一杯ひつかけてすべてを忘れる。……
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 痰が切れない爺さんと寝床ならべる
・孫に腰をたゝかせてゐるおぢいさんは
・眼の見えない人とゐて話がない
 水仙一りんのつめたい水をくみあげる
 水のんでこの憂欝のやりどころなし
 あるけばあるけば木の葉ちるちる
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先夜同宿した得体の解らない人とまた同宿した、彼は自分についてあまりに都合よく話す、そんなに自分が都合よく扱へるかな!
私はどうやらアルコールだけは揚棄することが出来たらしい、酒は飲むけれど、また、飲まないではゐられまいけれど、アルコールの奴隷にはならないで、酒を味ふことが出来るやうになつたらしい。
冬が来たことを感じた、うそ寒かつた、心細かつた、やつぱりセンチだね、白髪のセンチメンタリスト! 笑ふにも笑へない、泣くにも泣けない、ルンペンは泣き笑ひする外ない。
夜、寝られないので庵号などを考へた、まだ土地も金も何もきまらないのに、もう庵号だけはきまつた、曰く、三八九庵[#「三八九庵」に傍点](唐の超真和尚の三八九府に拠つたのである)。

 十二月十四日[#「十二月十四日」に二重傍線] 晴、行程二里、万田、苦味生居、末光居。

霜がまつしろにおりてゐる、冷たいけれど晴れきつてゐる、きょうは久振に苦味生さ
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