は夏爐冬扇の如し、といふのがある、俳句は夏爐冬扇だ、夏爐冬扇であるが故に、冬爐夏扇として役立つのではあるまいか。
荷物の重さ、いひかへれば執着の重さを感じる、荷物は少くなつてゆかなければならないのに、だんだん多くなつてくる、捨てるよりも拾ふからである。
八幡よいとこ――第一印象は、上かんおさかなつき一合十銭の立看板だつた、そしてバラツク式長屋をめぐる煤煙だつた、そして友人の温かい雰囲気だつた。
十一月廿五日[#「十一月廿五日」に二重傍線] 晴、河内水源地散歩、星城子居、雲関亭、四有三居。
ほがらかな晴れ、俊和尚と同行して警察署へ行く、朝酒はうまかつたが、それよりも人の情がうれしかつた、道場で小城氏に紹介される、氏も何処となく古武士の風格を具へてゐる、あの年配で剣道六段の教士であるとは珍らしい、外柔内剛、春のやさしさと秋のおごそかとを持つ人格者である、予期しなかつた面接のよろこびをよろこばずにはゐられなかつた、稽古の済むのを待つて、四人――小城氏と俊和尚と星城子君とそして私と――うち連れて中学校の裏へまはり、そこの草をしいて坐る、と俊和尚の袖から般若湯の一本が出る、殆んど私一人で飲みほした(自分ながらよく飲むのに感心した)、こゝからは小城さんと別れた、三人で山路を登る、途中、柚子を貰つたり、苺を摘んだり、笑つたり、ひやかしたり、句作したりしながら、まるで春のやうな散歩をつゞる[#「ゞる」に「マヽ」の注記]、そしてまた飲んだ、気分がよいので、景色がよいので――河内水源地は国家の経営だけに、近代風景として印象深く受け入れた(この紀行も別に、秋ところ/″\の一節として書く)、帰途、小城さんの雲関亭に寄つて夕飯を饗ばれる、暮れてから四有三居の句会へ出る、会する者十人ばかり、初対面の方が多かつたが、なか/\の盛会だつた(私が例の如く笑ひ過ぎ饒舌り過ぎたことはいふまでもあるまい)、十二時近く散会、それからまた/\例の四人でおでんやの床几に腰かけて、別れの盃をかはす、みんな気持よく酔つて、俊和尚は小城さんといつしよに、私は星城子さんといつしよに東と西へ、――私はずゐぶん酔つぱらつてゐたが、それでも、俊和尚と強い握手をして、さらに小城さんの手をも握つたことを覚えてゐる。
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・朝日まぶしく組み合つてゐる(道場即時)
・ほがらかにして草の上(草上饗宴)
よい家があるその壁の蔦紅葉
蓬むしれば昔なつかし
水はたゝへてわが影うつる(水源地風景)
・をり/\羽ばたく水鳥の水( 〃 )
・水を前に墓一つ
好きな山路でころりと寝る
・そよいでるその葉が赤い
小皿、紫蘇の実のほのかなる(雲関亭即事)
・さみしい顔が更けてゐる
風が冷い握手する
竹植ゑてある日向の家
まつたく裸木となりて立つ(雲関亭即事)
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十一月廿六日[#「十一月廿六日」に二重傍線] 晴、行程八里、半分は汽車、緑平居(うれしいといふ外なし)
ぐつすり寝てほつかり覚めた、いそがしく飲んで食べて、出勤する星城子さんと街道の分岐点で別れる、直方を経て糸田へ向ふのである、歩いてゐるうちに、だん/\憂欝になつて堪へきれないので、直方からは汽車で緑平居へ驀進した、そして夫妻の温かい雰囲気に包まれた。……
昧々居から緑平居までは歓待優遇の連続である、これでよいのだらうかといふ気がする、飲みすぎ饒舌りすぎる、遊びすぎる、他の世話になりすぎる、他の気分に交りすぎる、勿躰ないやうな、早[#「早」に「マヽ」の注記]敢ないやうな心持になつてゐる。
山のうつくしさよ、友のあたゝかさよ、酒のうまさよ。
今日は香春岳のよさを観た、泥炭山《ボタヤマ》のよさも観た、自然の山、人間の山、山みなよからざるなし。
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あるだけの酒飲んで別れたが(星城子君に)
眼が見えない風の道を辿る
・十一月二十二日のぬかるみをふむ(歩々到着)
・夜ふけの甘い物をいたゞく(四有三居)
傷づいた手に陽をあてる
晴れきつて真昼の憂欝
はじめての鰒のうまさの今日(中津)
ボタ山ならんでゐる陽がぬくい
・ひとすぢに水ながれてゐる
・重いドアあけて誰もゐない
枯野、馬鹿と話しつゞけて
憂欝を湯にとかさう
・地下足袋のおもたさで来て別れる
ボタ山の下でまた逢へた(緑平居)
また逢うてまた酔うてゐる( 〃 )
・小菊咲いてまだ職がない(闘牛児君に)
留守番、陽あたりがよい
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駅で、伊豆地方強震の号外を見て驚ろいた、そして関東大震災当時を思ひ出した、そして諸行無常を痛感した、観無常心が発菩提心となる、人々に幸福あれ、災害なかれ、しかし無常流転はどうすることも出来ないのだ。
緑平居で、プロ文士同志の闘争記事を読んで嫌な気がした、人間は互に闘はなければならないのか、闘はなければならないならば、もつと正直に真剣に闘へ。
此二つの記事が何を教へるか、考ふべし、よく考ふべし。
十一月廿七日[#「十一月廿七日」に二重傍線] 晴、読書と散歩と句と酒と、緑平居滞在。
緑平さんの深切に甘えて滞在することにする、緑平さんは心友だ、私を心から愛してくれる人だ、腹の中を口にすることは下手だが、手に現はして下さる、そこらを歩い見[#「い見」に「マヽ」の注記]たり、旅のたよりを書いたりする、奥さんが蓄音機をかけて旅情を慰めて下さる、――ありがたい一日だつた、かういふ一日は一年にも十年にも値する。
夜は二人で快い酔にひたりながら笑ひつゞけた、話しても話しても話は尽きない、枕を並べて寝ながら話しつゞけたことである。
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・生えたまゝの芒としてをく(緑平居)
・枝をさしのべてゐる冬木( 〃 )
ゆつくり香春も観せていたゞく( 〃 )
・旅の或る日の蓄音機きかせてもらう( 〃 )
・風の黄ろい花のいちりん
泥炭車《スキツプ》ひとりできてかへる
泥炭山《ボタヤマ》ちかく飛行機のうなり
夕日の机で旅のたより書く(緑平居)
・けふも暮れてゆく音につゝまれる
あんなにちかいひゞきをきいてゐる(苦味生君に)
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糸田風景のよいところが、だん/\解つてきた、今度で緑平居訪問は四回であるが、昨日と今日とで、今まで知らなかつたよいところを見つけた、といふよりも味はつたと思ふ。
十一月廿八日[#「十一月廿八日」に二重傍線] 晴、近郊探勝、行程三里、香春町(二五・中)
昨日もうらゝかな日和であつたが、今日はもつとほがらかなお天気である、歩いてゐて、しみ/″\歩くことの幸福を感じさせられた、明夜は句会、それまで近郊を歩くつもりで、八時緑平居を出る、どうも近来、停滞し勝ちで、あんまり安易に狎れたやうである、一日歩かなければ一日の堕落だ、などゝ考へながら河に沿うて伊田の方へのぼる、とても行乞なんか出来るものぢやない(緑平さんが、ちやんとドヤ銭とキス代とを下さつた、下さつたといへば星城子さんからも草鞋銭をいたゞいた)、このあたりの眺望は好きだ、山も水も草もよい、平凡で、そして何ともいへないものを蔵してゐる、朝霧にほんのりと浮びあがる香春、一ノ岳二ノ岳三ノ岳の姿にもひきつけられた、ボタ山が鋭角を空へつきだしてゐる形もおもしろい(この記事も亦、別に書かう、秋ところ/″\の一節として書くに足るものだ)、ぶらりぶらり歩く、一歩は一歩のうらゝかさやすらかさである、句を拾つて来なさいといつて下さつた緑平さんの友情を思ひながら、――いつのまにか伊田まで来たが、展覧会があつた後で、何だかごた/\ゐ[#「\ゐ」に「マヽ」の注記]る、おちついて寝られるやうな宿がありさうにもないので、橋を渡つて香春へ向いてゆく、この道も悪くない、平凡のうれしさを十分に味ふ、香春岳はやつぱりいゝ、しかし私には少し奇峭に過ぎないでもない、それに対してなだらかな山なみが、より親しまれる、そのところ/″\の雑木紅葉がうつくしい(香春岳は遠くからか、或は近くから眺めるべき山だ、緑平居あたりからの遠山がよい、また、こゝまできて見あげてもよい)、十一時にはもう香春の町へ着いた、寂れた街である、久振に蕎麦を食べる、宿をとるにはまだ早すぎるので、街を出はづれて、高座寺へ詣る、石寺とよばれてゐるだけに、附近には岩石が多い、梅も多い、清閑を楽しむには持つてこいの場所だ、散り残つてゐる楓の一樹二樹の風情も捨てがたいものだつた(この辺は今春、暮れてから緑平さんにひつぱりまはされたところだ、また、因に書いておく、香春岳全山は禁猟地で、猿が数百匹野生して残存してゐる、見物に登らうかとも思つたが、あまり気乗りがしないので、やめた、二三十匹乃至二三百匹の野生猿が群がり遊んでゐる話を宿の主人から聞かされた)。
此宿は外観はよいが内部はよくない、たゞ広くて遠慮のないのが気に入つた、裏の川で洗濯をする、流れに垢をそゝぐ気分は悪くなかつた。
一浴一杯、それで沢山だつた、顔面頭部の皮膚病が、孤独の憂欝を濃くすることはするけれど。
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すくひあげられて小魚かゞやく
はぎとられた芝土の日だまり
・菊作る家の食客してゐる
そこもこゝも岩の上には仏さま(高座石寺)
谺谺するほがらか
鳴きかはしてはよりそふ家鴨
枯木かこんで津波蕗の花
つめたからう水底から粉炭《ビフン》拾ふ女
火のない火鉢があるだけ
落葉ふんでおりて別れる(緑平君に)
・みすぼらしい影とおもふに木の葉ふる(自嘲)
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十一月廿九日[#「十一月廿九日」に二重傍線] 晴、霜、伊田行乞、緑平居、句会。
大霜だつた、かなり冷たかつた、それだけうらゝかな日だつた、うらゝかすぎる一日だつた、ゆつくり伊田まで歩いてゆく、そして三時間ばかり行乞、一週間ぶりの行乞だ、行乞しなくてはならない自分だから、やつぱり毎日かゝさず行乞するのが本当だ。
行乞は雲のゆく如く、水の流れるやうでなければならない、ちよつとでも滞つたら、すぐ紊れてしまふ、与へられるまゝで生きる、木の葉の散るやうに、風の吹くやうに、縁があればとゞまり縁がなければ去る、そこまで到達しなければ何の行乞ぞやである、やつぱり歩々到着だ。
伊田で、八百屋の店頭に松茸が少しばかり並べてあつた、それを見たばかりで私はうれしかつた、松茸を見なかつた食べなかつた物足りなさが紛らされた(その松茸は貧弱なものだつたけれど)。
糒川の草原にすわつて、笠の手入れをしたり法衣のほころびを縫ふたりする、ついでに虱狩もした、香春三山がしつとりと水に映つてゐる、朝の香春もよかつたが、夕の香春もよい。
河岸には(伊田の街はづれの)サアカスが興業してゐた、若い踊子や象や馬がサー[#「ー」に「マヽ」の注記]カス気分を十分に発散させてゐた、バカホ[#「ホ」に「マヽ」の注記]ンド、ルンペン、君たちも私も同じ道を辿るのだね。
枯草の上で、老遍路さんとしみ/″\話し合つた、何と人なつかしい彼だつたらう、彼は人情に餓えてゐた、彼は老眼をしばたゝいてお天気のよいこと、人の恋しいこと、生きてゐることのうれしさとくるしさとを話しつゞけた(果して私はよい聞手だつたらうか)。
夜は緑平居で句会、門司から源三郎さん、後藤寺から次郎[#「郎」に「マヽ」の注記]さん、四人の心はしつくり融け合つた、句を評し生活を語り自然を説いた。
真面目すぎる次郎さん、温情の持主ともいひたい源三郎さん、主人公緑平さんは今更いふまでもない人格者である。
源三郎さんと枕をならべて寝る、君のねむりはやすらかで、私の夢はまどかでない、しば/\眼ざめて読書した。
日が落ちるまへのボタ山のながめは、埃及風景のやうだつた、とでもいはうか、ボタ山かピラミツドか、ガラ炭のけむり、たそがれる空。
オコリ炭、ガラ炭、ボタ炭、ビフン炭(本当のタドン)、等、等、どれも私の創作慾をそゝる、句もだいぶ出来た、あまり自信はないけれど。
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けふは逢へる霜をふんで(源三郎さんに)
落葉拾ふてはひとり遊んでゐる
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