尋ね歩いて、源三郎居の御厄介になる、だいぶ探したが、酒屋のおかみさんも、魚屋のおやぢさんも、また若い巡査も(彼は若いだけ巡査臭ぷん/\であつたが)私と源三郎さんのやうな中流以上の知識階級乃至サラリーマンとを結びつけえなかつたのはあたりまへだらう。
源三郎さんは――奥さんも父君も――好感を持たないではゐられないやうな人柄である、たらふく酒を飲ませていたゞいて、ぞんぶん河豚を食べさせていたゞいて、そして絹夜具に寝せていたゞいた。
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 けふのべんたうは野のまんなかで
 なつかしくもやはらかいフトンである(源三郎居)
・蒲団ふうわりふる郷の夢( 〃 )
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駐在所で源三郎居の所在を教へられて、そこへの石段を上つてゆくと、子を負つた若い奥さんが下つて来られる、それが源三郎さんのマダムだつた、これは句になりさうで、なか/\まとまらない、犬の方はすぐ句になつたが!

 十一月廿日[#「十一月廿日」に二重傍線] 曇、時雨、下関市行乞、本町通り、岩国屋(三〇・中ノ上)

朝風呂に入れて下さつたのはありがたかつた、源三郎さんといつしよに出かける、少し借りる(何しろ深耶馬を下るためにといふので二円ばかり貯つてゐたのだが、宇島までにすつかり無くなつた、宇島で行乞したくないのを無理に行乞したのは、持金二十銭しかないので、食べて泊るだけにも二十二銭の不足だつたからである)、駅で別れる、しぐれがなか/\やみさうもない、気分もおちつかないので、関門を渡る、晴間々々に三時間ばかり行乞、まだ早すぎるけれど、昨春馴染の此宿へ泊る、万事さつぱりしてゐて、おちつける宿、私の好きな宿である。
酒は心をやはらげ湯は身体をやはらげる、身心共にやはらげられて寝たのに、虱の夢をみたのはどうしたことだらう!(もう一杯飲みたい誘惑に敗けたからかも知れない!)
下関はなつかしい土地だ、生れ故郷へもう一歩だ、といふよりもすでに故郷だ、修学旅行地として、取引地として、また遊蕩地として――二十余年前の悪夢がよみがへる。……
秋風の関門を渡る――かも知れませんよと白船君に、旅立つ時、書いて出したが、しぐれの関門を渡る――となつたが、こゝからは引き返す外ない、感慨無量といふところだ。
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 しぐるゝ朝湯もらうて別れる(源三郎居)
・ふる郷の言葉となつた街にきた
・ふる郷ちかい空から煤ふる
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 十一月廿一日[#「十一月廿一日」に二重傍線] 晴曇定めなくて時雨、市街行乞、宿は同前。

夢現のうちに雨の音をきいたが、やつぱり降る、晴れる、また降る、照りつゝ降る、降つてゐるのに照つてゐる、きちがい日和だ、九時半から一時半まで行乞する、辛うじて食べて泊つて一杯飲むだけは与へられた、時雨の功徳でもあり、袈裟の功徳でもある。
さんざ濡れて働らく、かういふ人々の間を通り抜けて行乞する、私も肉体労働者であることに間違いない。
下関の市街は歩いてゐるうちに、酒屋、魚屋、八百屋、うどん屋、餅屋(此頃は焼芋屋)、等々の食気屋の多いのに、今更のやうに驚かないではゐられない、鮮人の多いのにも驚ろく、男は現代化してゐるけれど、女は固有の服装でゆう/\と歩いてゐる、子供を腰につけてゐるのも面白い(日本人は背中につけ、西洋人は籃に入れてゐる)。
昨日も時化、今日も時雨だ、明日も時雨かも知れない、時化と関門、時化の関門と私とはいつも因縁がふかいらしい。
街頭風景としては、若い娘さんが、或る魚屋の店頭で、手際よく鰒を割いてゐた、おもしろいね、月並臭はあるけれど、おもしろいことはおもしろい(シヤンとフグとヂヤズ)。
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・片輪同志で濡れてゆく
 ぬれてはたらいてゐるは鮮人
 ぬれてひとりごというて狂人《キチガヒ》
・それは私の顔だつた鏡つめたく
 日記焼き捨てる火であたゝまる
 あんまり早う焼き捨てる日記の灰となつた
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今宵も我慢しきれなくなつて、ドブ一杯、シヨウチユウ一杯、その二杯の最大能力を発揮させて寝る、どうぞ明日は降つてくれるなよ、昨夜はよう寝られたのに、今夜はどうしても寝つかれない、十二時過ぎるまで読んだ、読物はみんな友からの贈物である。
しぐれの音が聞える、まつたく世間師殺しの天候だ、宵のうちに、隣室の土工さんが、やれ/\やつと食ふだけは儲けて来た、土方殺すにや刃物はいらぬ、雨が三日降りやみな殺し、と自棄口調で唄つてゐたのを思ひだす、私だつて御同様、わがふところは秋の風どころぢやない、大時化のスツカラカンだ。
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 旅のみなし児砂糖なめてゐる
 寄りそうてだあまつて旅のみなし児は
 旅の子供はひとりでメンコうつてゐる
    □
・久しぶり逢つた秋のふぐと汁(源三郎居)
 鰒食べつゝ話が尽きない( 〃 )
    □
・濡れて寒い顔と顔がしづくしてゐる
 バクチにまけてきて相撲見の金を借り出さうとしてゐる
 時化でみづから吹いて慰む虚無僧さん
・空も人も時化ける
 冬空のふる郷へちかづいてひきかへす
 追うても逃げない虫が寒い
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 十一月廿二日[#「十一月廿二日」に二重傍線] 晴曇定めなし、時々雨、一流街行乞、宿は同じ事。

お天気は昨日からの――正確にいへば一昨日からの――つゞき、降つたり晴れたりだ、十時近くなつて、どうやら大して降りさうもないので出かける、こんな日は、ひとり火鉢をかゝへて、読書と思索とに沈潜したいのだけれど、それはとうてい許されない。
草鞋ではとてもやりきれないので、昨日も今日も地下足袋を穿いたが、感じの悪い事おびたゞしい。
二時過ぎまで行乞、キス一杯の余裕あるだけはいたゞいて、地橙孫さんを訪ねる、不在、奥さんに逢つて(女中さん怪訝な顔付で呼びにいつた)ちよつと挨拶する、白状すれば、昨春御馳走のなりつぱなしになつてゐるし、そのうへ少し借りたのもそのまゝになつてゐる、逢うて話したいし、逢へばきまりが悪いし、といつてこゝへ来て黙つてゐることは私の心情が許さないし、とにもかくにも地橙孫さんは尊敬すべき紳士である、私は俳人としてゞなく、人間として親しみを感じてゐるのである。
宿に戻つて、すぐ入浴、そして一杯、それはシヨウチユウ一杯とドブ一杯とのカクテルだ、飲まずにはゐられないアルコール(酒とはいはない)、何とみじめな、そして何とうまいことだろう!
下関は好きだけれど、煤烟と騒音とには閉口する、狭くるしい街を人が通る、自動車が通る、荷馬車が通る、オートバイが通る、自転車が通る、……その間を縫うて、あちらこちらと行乞するのはほんたうに嫌になります。
生きてゐることのうれしさとくるしさとを毎日感じる、同時に人間といふものゝよさとわるさとを感ぜずにはゐられない、――それがルンペン生活の特権とでもいはうか、それはそれとして明日は句会だ、どうかお天気であつてほしい、好悪愛憎、我他彼此のない気分になりたい。
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   改作二句(源三郎居即事)
・吠えて親しい小犬であつた
・まづ朝日一本いたゞいて喫ひこむ
    □
・旅はきらくな起きるより唄
・雨をよけてゐるラヂオがきこえる
 ハジカレたが菊の見事さよ(ハジカレは術語、御免の意味)
 お経とゞかないヂヤズの騒音(或は又、ヂヤズとお経とこんがらがつて)
 風の中声はりあげて南無観世音菩薩
・これでもお土産の林檎二つです
 火が何よりの御馳走の旅となつた
  改
 紅葉山へ腹いつぱいのこ[#「こ」に「マヽ」の注記]し
・藪で赤いは烏瓜
 坐るよりよい石塔を見た
・ならんで尿する空が暗い
 また逢ふまでの山茶花を数へる
・土蔵そのそばの柚の実も(福沢旧邸)
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 十一月廿三日[#「十一月廿三日」に二重傍線] 曇、時雨、下関市、地橙孫居。

相変らずの天候である、朝の関門海峡を渡る、時雨に濡れて近代風景を観賞する、舳の尖端に立つて法衣を寒風に任した次第である、多少のモダーン味がないこともあるまい。
門司風景を点綴するには朝鮮服の朝鮮人の悠然たる姿を添へなければならない、西洋人のすつきりした姿乃至どつしりした姿も、――そして下関駅頭の屋台店(飲食店に限る)、門司海岸の果実売子を忘れてはならない。
約束通り十時前に源三郎居を訪ふたが、同人に差閊が多くて、主客二人では句会にならないで[#「いで」に「マヽ」の注記]、けつくそれをよい事にして山へ登る、源三郎さんはりゆうとした現代紳士型の洋装、私は地下足袋で頬かむりの珍妙姿、さぞ山の神――字義通りの――もおかしがつたであらう。
下関から眺めた門司の山々はよかつたが、近づいて見て、登つて観て、一層よかつた、門司には過ぎたるものだ。
『当然』に生きるのが本当の生活だらうけれど、私はたゞ『必然』に生きてゐる、少くとも此二筋の『句』に於ては、『酒』に於ては!
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・燃えてしまつたそのまゝの灰となつてゐる
 風の夜の戸をたゝく音がある
 風の音もふけてゐる散財か
 更けてバクチうつ声
 あすはあへるぞトタン屋根の雨
・しんみりぬれて人も馬も
 夢がやぶれたトタンうつ雨
・きちがい日和の街をさまよふのだ
・ま夜中の虱を這はせる
 あの汽車もふる郷の方へ音たかく
 地図一枚捨てゝ心かろく去る
    □
 すこし揺れる船のひとり
 きたない船が濃い煙吐いて
 しぐるゝ街のみんなあたゝかう着てゐる
 しぐるゝや西洋人がうまさうに林檎かじつてゐる
 あんな船の大きな汽笛だつた
 しぐれてる浮標《ブイ》が赤いな
    □
 風が強い大岩小岩にうづもれ□□
 吹きまくられる二人で登る
 好きな僕チヤンそのまゝ寝ちまつた(源三郎居)
・このいたゞきにたゞずむことも

・水飲んで尿して去る
 水飲めばルンペンのこゝろ
・雨の一日一隅を守る
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 十一月廿四日[#「十一月廿四日」に二重傍線] 曇、雨、寒、八幡市、星城子居(もつたいない)

今日も亦、きちがい日和だ、裁判所行きの地橙孫君と連れ立つて歩く、別れるとき、また汽車賃、辨当代をいたゞいた、すまないとは思ふけれど、汽車賃はありますか、辨当代はありますかと訊かれると、ありませんと答へる外ない、おかげで行乞しないで、門司へ渡り八幡へ飛ぶ、やうやく星城子居を尋ねあてゝ腰を据える、星城子居で星城子に会ふのは当然だが、俊和尚に相見したのは意外だつた、今日は二重のよろこび――星氏に会つたよろこび、俊氏に逢つたよろこび――を与へられたのである。
俊和尚は予期した通りの和尚だつた、私は所謂、禅坊主はあまり好きでないが、和尚だけは好きにならずにはゐられない禅坊主だ(何と不可思議な機縁だらう)。
星城子氏も予期を裏切らない、いや、予期以上の人物だ、あまり優遇されるので恐縮するほどだ、訪問早々、奥さんの温情に甘えて、昼御飯をうんと食べたほど、身心をのび/\とさせた。
ずゐぶんおそくまで飲みつゞけ話しつゞけた、飲んでも/\話しても/\興はつきなかつた、それでは皆さんおやすみ、あすはまた飲みませう、話しませう(虫がよすぎますね!)。
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 逢ひたうて逢うてゐる風(地橙孫居)
 ※[#「魚+昜」、133−9]かみしめては昔を話す( 〃 )
 風の街の毛皮売れない鮮人で
・けふもしぐれて落ちつく場所がない
・しみ/″\しみいる尿である
 買ふでもないものを観てまはる
 ふる郷ちかく酔うてゐる
 朝から酔うて雨がふる
・ありがたいお金さみしくいたゞく
 供養受けるばかりで今日の終り
・しぐるゝや煙突数のかぎりなく(八幡風景)
 風の街の朝鮮女の衣裳うつくしい
 また逢ふまでの山茶花の花(昧々氏へ)
 標札見てあるく彦山の鈴(星城子居)
 しぐるゝやあんたの家をたづねあてた( 〃 )
[#ここで字下げ終わり]
省みて、私は搾取者ぢやないか、否、奪掠者ぢやないか、と恥ぢる、かういふ生活、かういふ生活に溺れてゆく私を呪ふ。……
芭蕉の言葉に、わが句
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