あるさうな。
由布院といふところは――南由布院、北由布院と分れてゐるが、それは九州としては気持のよい高原であるが、こゝは由布院中の由布院ともいふべく、湯はあふれてゐるし、由布岳は親しく見おろしてゐる、村だから、そここゝにちらほら家があつて、それがかなり大きな旅館であり料理屋である、――とにかく清遊地としては好適であることを疑はない。
山色夕陽時といふ、私は今日幸にして、落日をまともに浴びた由布岳を観たことは、ほんたうにうれしい。
この宿は評判だけあつて、気安くて、深切で、安くて、よろしい、殊に、ぶく/\湧き出る内湯は勿体ないほどよろしかつた。
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・刺青あざやかな朝湯がこぼれる
 洗うてそのまゝ河原の石に干す
 寝たいだけ寝たからだ湯に伸ばす
 別れるまへの支那の子供と話す
・水音、大声で話しつゞけてゐる
 支那人が越えてゆく山の枯すゝき
 また逢うた支那のおぢさんのこんにちは
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同宿三人、みんな同行だ、みんな好人物らしい、といふよりも好人物にならなくてはならなかつた人々らしい、みんな一本のむ、私も一本のむ、それでほろ/\とろ/\天下泰平、国家安康、家内安全、万人安楽だ(としておく、としておかなければ生きてゐられない)。

 十一月十三日[#「十一月十三日」に二重傍線] 曇、汽車で四里、徒歩で三里、玖珠町、丸屋(二五・中ノ上)

早く起きて湯にひたる、ありがたい、此地方はすべて朝がおそいから、大急ぎで御飯をしまうて駅へ急ぐ、八時の汽車で中村へ、九時着、二時間あまり行乞、ぼつ/\歩いて二時玖珠町着、また二時間あまり行乞、しぐれてさむいので、こゝへ泊る、予定の森町はすぐそこだが。
山国はやつぱり寒い、もうどの家にも炬燵が開いてある、駅にはストーブが焚いてある、自分の姿の寒げなのが自分にも解る。
北由布から中村までの山越は私の好きな道らしい、前程を急ぐので汽車に乗つたのは残念だつた、雑木山、枯草山、その間を縫うてのぼつたりくだつたりする道、さういふ道をひとり辿るのが私は好きだ、いづれまた機縁があつたら歩かせてもらはう。
今日もべんたうは草の上で食べたが、寒かつた、冷たかつた。
このあたりの山はよい、原もよい、火山型の、歪んだやうな荒涼とした姿である、焼野焼山といつた感じだ。
これは今日の行乞に限つたことではないが、非人間的、といふよりも非人情的態度の人々に対すると、多少の憤慨と憐愍とを感じないではゐられない、さういふ場合には私は観音経を読誦しつゞける、今日もさういふ場合が三度あつた、三度は多過ぎる。
吊り下げられた鉤にひつかゝる魚、投げ与へられた団子を追うて走る犬、さういふ魚や犬となつてはならない、さうならないための修行である、今日も自から省みて自から恥ぢ自から鞭つた。
寒い、気分が重い、ぼんやりして道を横ぎらうとして、あはや自動車に轢かれんとした、危いことだつた、もつともそのまゝ死んでしまへば却つてよかつたのだが、半死半生では全く以て困り入る。
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 あふるゝ朝湯のしづけさにひたる(湯口温泉)
・こゝちようねる今宵は由布岳の下
 下車客五六人に楓めざましく
 雑木紅葉のぼりついてトンネル
 尿してゐる朝の山どつしりとすはつてゐる
・自動車に轢かれんとして寒い寒い道
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昨日の宿は申分なかつたが、今日の宿もよい、二十五銭でこれだけの待遇をして貰つては何だかすまないやうな気がする、着くと温かい言葉、炭火、お茶、お茶請(それは漬物だけれど)そして何でも気持よくやつて下さる。……
同宿の坊さん、彼は真言宗だといつてゐたが、とにかく一癖ある人間だつた、今は眼が悪く年をとつたのでおとなしいが、ちよいちよい昔の負けじ魂を押へきれないやうだ。

 十一月十四日[#「十一月十四日」に二重傍線] 霧、霜、曇、――山国の特徴を発揮してゐる、日田屋(三〇・中)

前の小川で顔を洗ふ、寒いので九時近くなつて冷たい草鞋を穿く、河一つ隔てゝ森町、しかしこの河一つが何といふ相違だらう、玖珠町では殆んどすべての家が御免で、森町では殆んどすべての家がいさぎよく報謝して下さる、二時過ぎまで行乞、街はづれの宿へ帰つてまた街へ出かけて、造り酒屋が三軒あるので一杯づゝ飲んでまはる、そしてすつかりいゝ気持になる、三十銭の幸福だ、しかしそれはバベルの塔の幸福よりも確実だ。
森町は、絵葉書には谿郷と書いてあるけれど、山郷といつた方がいゝ、末広神社へ詣つて九州アルプスを見渡した風景はよかつた、町の中に森あり原あり、家あり石あり、そこがいゝ。
岩扇山といふはおもしろい姿だ、頂上の平ぺつたい岩が扇を開いたやうな形をしてゐる、耶馬渓の風景のプロローグだ、私は奇勝とか絶景とかいはれるものは好かないが、その山は眺めて悪くない。
此宿も悪くない、広くて静かだ、相当の人が落魄して、かういふ安宿をやつてゐるらしい、漬物がおいしい、お婆さんが深切だ。
今日は雑木山でおべんたうを開いた、よかつた。
朝が冷たかつたほど昼は暖かだつた。
浜口首相狙撃さる――さういふ新聞通信を見た時、私は修証義を読みつゝ行乞してゐた、――無情忽ちに到るときは国王大王親眤従僕助くるなし、たゞ独り黄泉に赴くのみなり、己れに随ひゆくは善悪業等のみなり。――
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 おべんたうをひらく落葉ちりくる
 大銀杏散りつくしたる大空
・落葉散りしくまゝで住んでゐる
 ゆふべ、片輪の蜘蛛がはいあるく
・また逢うた支那の子供が話しかける
 西へ北へ支那の子供は私は去る
 歩いても眺めても知らない顔ばかり
 鉄鉢、散りくる葉をうけた
 水飲んでルンペンのやすけさをたどる
 支那人の寝言きいてゐて寒い
・虱よ捻りつぶしたが
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明日の事――深耶馬の渓谷美や、昧々さんとの再会や何や彼や――を考へて興奮したからだらう、二時頃まで寝られなかつた、かういふ身心では困るけれど、どうにもしようがない。
今夜も例の支那軽業師と同宿、また同宿の同郷人と話した、言葉の魅力といつたやうなものを感じる。
近来しみ/″\感じるのであるが、一路を辿る、愚に返る、本然を守る――それが私に与へられた、いや残された最後の、そして唯一の生き方だ、そこに句がある、酒がある、ともいへやう。
このあたりも菊作りがさかんだ、小屋までかけて観せるべく並べてある、私も観せて貰つた、あまり好きではないが。
一室一人(但し半燈)もよかつた、宿の人々、同宿の人々がやさしいのもうれしかつた。

 十一月十五日[#「十一月十五日」に二重傍線] 晴、行程七里、中津、昧々居(最上々々)

いよ/\深耶馬渓を下る日である、もちろん行乞なんかはしない、悠然として山を観るのである、お天気もよい、気分もよい、七時半出立、草鞋の工合もよい、巻煙草をふかしながら、ゆつたりした歩調で歩む、岩扇山を右に見てツイキ[#「ツイキ」に傍線]の洞門まで一里、こゝから道は下りとなつて深耶馬の風景が歩々に展開されるのである、――深耶馬渓はさすがによかつた、といふよりも渓谷が狭くて人家や田園のないのが私の好尚にかなつたのであらう、とにかく失望しなかつた、気持がさつさうとした、観賞記は別に『秋ところ/″\』の一部として書くつもり――三里下つて、柿坂へついたのが一時半、次の耶馬渓駅へ出て汽車に乗る、一路昧々居へ、一年ぶりの対面、いつもかはらない温情、よく飲んでよく話した、極楽気分で寝てしまつた。……
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 霜をふんであんな[#「な」に「マヽ」の注記]の方へ
・山を観るけふいちにちは笠をかぶらず
・山の鴉のなきかはす間を下る
・小鳥ないてくれてもう一服
 その木は枯れてゐる蔦紅葉
 もう逢へまい顔と顔とでほゝゑむ
 山の紅葉へ胸いつぱいの声
 けふのべんたうは岩のうへにて
・藪で赤いのが烏瓜
・岩にかいてあるはへのへのもへじ
・寝酒したしくおいてありました(昧々居)
・また逢へた山茶花も咲いてゐる(昧々居)
・蒲団長く夜も長く寝せていたゞいて( 〃 )
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 十一月十六日[#「十一月十六日」に二重傍線] 曇、句会、今夜も昧々居の厄介になつた。

しぐれ日和である(去年もさうだつた)、去年の印象を新らたにする庭の樹々――山茶花も咲いてゐる、八ツ手も咲いてゐる、津波蕗もサルピヤも、そして柿が二つ三つ残んの実を持つたまゝ枯枝をのばしてゐる。
朝酒、何といふうまさだらう、いゝ機嫌で、昧々さんをひつぱりだして散歩する、そして宇平居へおしかけて昼酒、また散歩、塩風呂にはいり二丘居を訪ね、筑紫亭でみつぐり会の句会、フグチリでさん/″\飲んで饒舌つた、句会は遠慮のない親しみふかいものだつた。
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 晴れてくれさうな八ツ手の花
・朝、万年青の赤さがあつた
 しぐるゝや供養されてゐる
・土蔵そのそばの柚の実も(福沢先生旧邸)
・すゝき一株も植ゑてある(  〃   )
 座るよりよい石塔を見つけた(宇平居)
 これが河豚かと食べてゐる(筑紫亭句会)
・河豚鍋食べつくして別れた(  〃  )
・ならんで尿する空が暗い
 世渡りが下手くそな菊が咲きだした(闘牛児からの来信に答へて)
 芙蓉実となつたあなたをおもふ(     〃     )
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枕許に、水といつしよに酒がおいてあるには恐縮した、有難いよりも勿躰なかつた(昧々さんの人柄を語るに最もふさはしい事実だ)。

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春風秋雨 花開草枯
自性自愚 歩々仏土

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メイ僧のメンかぶらうとあせるよりも
  ホイトウ坊主がホントウなるらん

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酔来枕石 谿声不蔵
酒中酒尽 無我無仏

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見たまゝ、
聞いたまゝ、
感じたまゝの、
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野衲、
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山頭火
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 十一月十七日[#「十一月十七日」に二重傍線] 晴、行程一里、宇ノ島、太田屋(三〇・中ノ上)

朝酒は勿躰ないと思つたけれど、見た以上は飲まずにはゐられない私である、ほろ/\酔うてお暇する、いつまたあはれるか、それはわからない、けふこゝで顔と顔とを合せてる――人生はこれだけだ、これだけでよろしい、これだけ以上になつては困る。……
情のこもつた別れの言葉をあとにして、すた/\歩く、とても行乞なんか出来るものぢやない、一里歩いて宇ノ島、教へられてゐた宿へ泊る、何しろ淋しくてならないので濁酒を二三杯ひつかける、そして休んだ、かういふ場合には酔うて寝る外ないのだから。
此宿はよろしい、木賃宿は一般によくなつたが、そして客種もよくなつたが、三十銭でこれだけの待遇をうけると、何となくすまないやうな気もする、しかも木賃宿は、それが客の多い宿ならば、みんな儲けだしてゐる。
友人からのたより――昧々居で受け取つたもの――をまた、くりかへしくりかへし読んだ、そして人間、友、心といふものにうたれた。
同宿七人、同室はおへんろさんとおゑびすさん、前者はおだやかな、しんせつな老人だつたが、後者は無智な、我儘な中年者だつた、でも話してゐるうちに、私といふものを多少解つてくれたやうだつた。
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・別れて来た道がまつすぐ
 酔うて急いで山国川を渡る
・つきあたつてまがれば風
・別れきてさみしい濁酒《ドブ》があつた
 タダの湯へつかれた足を伸ばす
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 十一月十八日[#「十一月十八日」に二重傍線] 曇、宇ノ島八屋行乞、宿は同前、いゝ宿である。

行乞したくないけれど九時から三時まで行乞、おいしい濁酒を飲んで、あたゝかい湯に入る、そして寝る、どうしても孤独の行乞者に戻りきれないので閉口々々。

 十一月十九日[#「十一月十九日」に二重傍線] 晴、行程三里、門司、源三郎居、よすぎる。

嫌々行乞して椎田まで、もう我慢出来ないし、門司までの汽車賃だけはあるので大里まで飛ぶ、そこから広石町を
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