、未就学児童が、御免々々といふのは何としても嬉しくない)。
山々樹々の紅葉黄葉、深浅とり/″\、段々畠の色彩もうつくしい、自然の恩恵、人間の力。
このあたりは行人が稀で、自動車はめつたに通らない、願はくは風景のいゝところには山路だけあれ、車道を拓くべからずだ!
頬白、百舌鳥、鵯、等々、小鳥の歌はいゝなあ。
どこへいつても道路がよくひらかけ[#「け」に「マヽ」の注記]てゐるのに感謝する、そして道路の事だつたら道路工夫にお訊ねなさい、其地方の道路については彼はよく知つてゐる、そしてよく教へてくれる、決して田舎の爺さん婆さんに道路のことを訊くものぢやない、なあに二里か三里だよといふ、労れた旅人に二里か三里かは大した相違ぢやないか、彼等はよくいふ、ついそこだといふ、そのついそこだが五丁の時もあり、十丁の時もあり、一里の時もないことはない、まあ仕方のない時は小学生の上級生に訊ねると、大した間違はない、もつとも、そこの停車場を知らない生徒もないではないが(因みにいふ、その地方の山の名、川の名を知つてゐる地方人が稀なのにはいつも驚かされる)。
今日の道はよかつたが、下津留附が[#「附が」に「マヽ」の注記]最もよかつた、これについては別に昨日の赤岩附近の景勝といつしよに書く、それはそれとして、今朝、湯ノ原から湯ノ平へ山越しないで幸だつた、道に迷ふばかりでなく、こんな山水を見落すのだつた。
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 明けはなれゆく瀬の音たかく
 あかつきの湯が私ひとりをあたゝめてくれる
 壁をへだてゝ湯の中の男女さゞめきあふ
 見る/\月が逃げてしまつた
・物貰ひ罷りならぬ紅葉の里を通る
 一きわ赤いはお寺の紅葉
 電線の露の玉かぎりなし
・脚絆かはかねど穿いて立つ
 ホイトウとよばれる村のしぐれかな
・手洟かんでは山を見てゐる
 枯草の日向の蝶々黄ろい蝶々
・しつとり濡れて岩も私も
・蝶々とまらう枯すゝきうごくまいぞ
 枯草、みんな言葉かけて通る
 剃りたてのあたまにぞんぶん日の光
 さみしい鳥よちゝとなくかよこゝとなくかよ
 日をまともに瀧はまつしぐら
・青空のした秋草のうへけふのべんたうひらく
・あばら屋の唐黍ばかりがうつくしい
 まだ奥に家がある牛をひいてゆく
 山家一すぢの煙をのぼらせて
 ぬかるみをとんでゐる蝶々三つ
 去年《コゾ》の色に咲いたりんだう見ても(熊本博多同人に)
・宿までかまきりついてきたか
・法衣吹きまくるはまさに秋風(改作)
 ずんぶりぬれて馬も人も働らく
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山はいゝなあといふ話の一つ二つ――三国峠では祖母山をまともに一服やつたが、下津留では久住山と差向ひでお辨当を開いた、とても贅沢なランチだ、例の如く飯ばかりの飯で水を飲んだゞけではあつたが。
今日の感想も二三、――草鞋は割箸と同じやうに、穿き捨てゝゆくところが、東洋的よりも日本的でうれしい、旅人らしい感情は草鞋によつて快くそゝられる。
法眼の所謂『歩々到着』だ、前歩を忘れ後歩を思はない一歩々々だ、一歩々々には古今なく東西なく、一歩即一切だ、こゝまで来て徒歩禅の意義が解る。
山に入つては死なゝい[#「死なゝい」に傍点]人生、街へ出ては死ねない[#「死ねない」に傍点]人生、いづれにしても死にそこないの人生。
雑木山の美しさは自然そのもの、そのまゝの美しさだ、殖林の美しさは人工的幾何学的の美しさだ、前者を日本的とすれば後者は西洋的ともいはうか。
酒はたしかに私を世間的には蹉跌せしめたが、人間的には疑ひもなく生かしてくれた、私は今やうやく酒の繋縛から解脱しつゝある、私の最後の本格が出現しつゝあるのである、呪ふべき酒ではあつたが、同時に祝すべき酒でもあつたのだ、生死の外に涅槃なく、煩悩の外に菩提はない。
おしまひにユーモラスな※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話を二つ(それは行乞漫談の資料としておもしろい)、――或る小さい料理屋の前に立つ、そこの階段の横で、鏡台を前に、あまりシヤンでもない酌婦がしきりに髪を撫でたり顔を撫でたりしてゐる、時々横目で私の方を見るが、御免とも何ともいはないので、私も観音経を読誦し続けた、しかしずゐぶん長く立つてゐるのに、依然として同じ状態だ、とう/\私は根気負けして立ち去つた、ユーゴーか誰かの言葉に、女は弱く母は強しとあつたが、鏡の前の女は何といふ強さだらう、とても敵はない、或はまた思ふ、彼女の布施は横眼でちよい/\見たこと、いひかへれば色眼ではなかつたらうか知ら! もう一つは、或る店の前に立つ、老婆がすぐ立ちあがつて抽出しの中を探し初めた、お断りをいはないから読経しつゝ待つてゐる、しきりに探しまはすが見つからないらしい様子、気の毒さうに私を見ては探しつゞけてゐる、暫らくしてやつと見つかつたらしい、それを持つてきて鉄鉢に入れて下さつた、見ると五厘銅貨である、多分お婆さん、その銅貨をどこかで拾ひでもしてその抽出しに入れておいたのだらう、そして私が立つたので、それを思ひだして喜捨して下さつたのだらう、空気の報謝――これも一※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話――よりも罪はないが、少々慾張りすぎてゐますね、お婆さんは多分五厘で極楽へゆくつもりだらう、慾張り爺さんが一銭で大願成就を神様に押しつけるやうにさ!
此宿も悪くないけれど、いや、良い方だけれど、水に乏しく風呂を立てないのは困る、今夜も私は五六里歩いてきた身体そのまゝで寝なければならなかつた、もちろん湯屋なんかありはしないから。
今夜も水声がたえない、アルコールのおかげで辛うじて眠る、いろんな夢を見た、よい夢、わるい夢、懺悔の夢、故郷の夢、青春の夢、少年の夢、家庭の夢、僧院の夢、ずゐぶんいろんな夢を見るものだ。
味ふ――物そのものを味ふ――貧しい人は貧しさに徹する、愚かなものは愚かさに徹する――与へられた、といふよりも持つて生れた性情を尽す――そこに人生、いや、人生の意味があるのぢやあるまいか。

 十一月十日[#「十一月十日」に二重傍線] 雨、晴、曇、行程三里、湯ノ平温泉、大分屋(四〇・中)

夜が長い、そして年寄は眼が覚めやすい、暗いうちに起きる、そして『旅人芭蕉』を読む、井師の見識に感じ苦味生さんの温情に感じる、ありがたい本だ(これで三度読む、六年前、二年前、そして今日)。
冷たい雨が降つてゐるし、腹工合もよくないので、滞在休養して原稿でも書かうと思つてゐたら、だん/\霽れて青空が見えて来た、十時過ぎて濡れた草鞋を穿く、すこし冷たい、山国らしくてよろしい、沿道のところ/″\を行乞して湯ノ平温泉といふこゝへ着いたのは四時、さつそく一浴一杯、ぶら/\そこらあたりを歩いたことである。
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△秋風の[#「秋風の」に「(しぐるゝや)」の注記]旅人になりきつてゐる
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こゝ湯ノ平といふところは気に入つた、いかにも山の湯の町らしい、石だゝみ、宿屋、万屋《よろづや》、湯坪、料理屋、等々々、おもしろいね。
ルンペンの第六感[#「ルンペンの第六感」に傍点]、さういふ第六感を、幸か不幸か、私も与へられてゐる、人は誰でも五感を通り越して第六感に到つて、多少話せる。
朝寒夜寒、山の谷の宿はうすら寒い、もう借衣ではいけないらしい、どなたか、綿入一枚寄附してくだされ、ハイカシコマリマシタ、呵々。
これは行乞ヱピソードの一つで――嘘を教へる、しかも母が子に嘘を教へる、――さういふ微苦笑劇の一シーンに時々出くわす――今日もさういふことがあつた、――御免、お御免、留守、留守と子供がいふ、子供はさういふけれど母親はゐるのだ、ゐて知らない顔をしてゐるのだ、――子供は正直にいふ、お母さんが留守だといへといつたといふ――多分、いや間違ひなく、彼女は主婦の友か婦女界の愛読者だらう、そして主婦の友乃至婦女界の実現者ではないのだらう。
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・いちにち雨ふり一隅を守つてゐた(木賃宿生活)
 あんたのことを考へつゞけて歩きつゞけて
・大空の下にして御飯のひかり
・貧しう住んでこれだけの菊を咲かせてゐる(改作)
 阿蘇がなつかしいりんだうの花[#「の花」に「(ひらく)」の注記]
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人生の幸福は健康であるが、健康はよき食慾とよき睡眠[#「よき食慾とよき睡眠」に傍点]との賜物である、私はよき――むしろ、よすぎるほどの食慾を恵まれてゐるが、どうも睡眠はよくない、いつも不眠或は不安な睡眠に悩んでゐる、睡られないなどゝはまことに横着だと思ふのだが。
此温泉はほんたうに気に入つた、山もよく水もよい、湯は勿論よい、宿もよい、といふ訳で、よく飲んでよく食べてよく寝た、ほんたうによい一夜だつた。
こゝの湯は熱くて豊かだ、浴して気持がよく、飲んでもうまい、茶の代りにがぶ/\飲んでゐるやうだ、そして身心に利きさうな気がする、などゝすつかり浴泉気分になつてしまつた。

 十一月十一日[#「十一月十一日」に二重傍線] 晴、時雨、――初霰、滞在、宿は同前。

山峡は早く暮れて遅く明ける、九時から十一時まで行乞、かなり大きな旅館があるが、こゝは夏さかりの冬がれで、どこにもあまりお客さんはないらしい。
午後は休養、流れにはいつて洗濯する、そしてそれを河原に干す、それまではよかつたが、日和癖でざつとしぐれてきた、私は読書してゐて何も知らなかつたが(谿声がさう/\と響くので)宿の娘さんが、そこまで走つて行つて持つて帰つて下さつたのは、じつさいありがたかつた。
こゝの湯は胃腸病に効験いちじるしいさうなが、それを浴びるよりも飲むのださうな、田舎からの入湯客は一日に五升も六升も飲むさうな、土着の人々も茶の代用としてがぶ/\飲むらしい、私もよく飲んだが、もしこれが酒だつたら! と思ふのも上戸の卑しさからだらう。
今夜は同宿者がある、隣室に支那人三連[#「三連」に「マヽ」の注記]れ(昨夜は私一人だつた)大人一人子供二人の、例の大道軽業の芸人である、大人は五十才位の、痘痕のある支那人らしい支那人、子供はだいぶ日本化してゐる、草津節をうたつてゐる、私に話しかけては笑ふ。
暮れてから、どしや降りとなつた、初霰が降つたさうな、もう雪がふるだらう、好雪片々別処に落ちず。――
今夜は飲まなかつた、財政難もあるけれど、飲まないでも寝られたほど気分がよかつたのである、それでもよく寝た。
繰り返していふが、こゝは湯もよく宿もよかつた、よい昼でありよい夜であつた(それでも夢を見ることは忘れなかつた!)
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 枯草山に夕日がいつぱい
 しぐるゝや人のなさけに涙ぐむ
 山家の客となり落葉ちりこむ
 ずんぶり浸る一日のをはり
・夕しぐれいつまでも牛が鳴いて
 夜半の雨がトタン屋根をたゝいていつた
・しぐるゝや旅の支那さんいつしよに寝てゐる
・支那の子供の軽業も夕寒い
・夜も働らく支那の子供よしぐれるな
 ひとりあたゝまつてひとりねる
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 十一月十二日[#「十一月十二日」に二重傍線] 晴、曇、初雪、由布院湯坪、筑後屋(二五・上)

九時近くなつて草鞋をはく、ちよつと冷たい、もう冬だなと感じる、感じるどころぢやない、途中ちら/\小雪が降つた、南由布院、北由布院、この湯の坪までは四里、あまり行乞するやうなところはなかつた、それでも金十四銭、米七合いたゞいた。
湯の平の[#「湯の平の」はママ]入口の雑木山もうつくしかつたが、このあたりの山もうつくしい、四方なだらかな山に囲まれて、そして一方はもく/\ともりあがつた由布岳――所謂、豊後富士――である、高原らしい空気がたゞようてゐる、由布岳はいい山だ、おごそかさとしたしさとを持つてゐる、中腹までは雑木紅葉(そこへ杉か檜の殖林が割り込んでゐるのは、経済的と芸術的との相剋である、しかしそれはそれとしてよろしい)、中腹から上は枯草、絶頂は雪、登りたいなあと思ふ。
此地方は驚くほど湯が湧いてゐる、至るところ湯だ、湯で水車のまはつてゐるところも
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