生きることゝ、食ふことゝは同一のことになつてしまうまでので[#「ので」に「マヽ」の注記]あらうが。
とにかく私は生きることに労れて来た。

 九月十九日[#「九月十九日」に二重傍線] 晴、小林町、川辺屋(四〇・中)

いかにも秋らしいお天気である、心もかろく身もかろく午前中三時間、駅附近を行乞する、そして十二時の汽車で小林町へ、また二時間行乞。
此宿は探しまはつて探しあてたゞけあつてよかつた、食べものは近来にないまづさであるが、一室一燈を占有してゐられるのが、私には何よりうれしい。
夜はだいぶ飲んだ、無何有郷を彷徨した、アルコールがなくては私の生活はあまりにさびしい、まじめですなほな私は私自身にとつてはみじめで仕方がない。

 九月廿日[#「九月廿日」に二重傍線] 晴、同前。

小林町行乞、もう文なしだからおそくまで辛抱した、かうした心持をいやしいとは思ふが、どうしようもない、もつとゆつたりとした気分にならなければ嘘だ、けふの行乞はほんとうにつらかつた、時々腹が立つた、それは他人に対するよりも自分に対しての憤懣であつた。
夜はアルコールなしで早くから寝た、石豆腐(此地方の豆腐は水に入れ
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