げ終わり]
単に句を整理するばかりぢやない、私は今、私の過去一切を清算しなければならなくなつてゐるのである、たゞ捨てゝも/\捨てきれないものに涙が流れるのである。
私もやうやく『行乞記』を書きだすことが出来るやうになつた。――
[#ここから2字下げ]
私はまた旅に出た。――
所詮、乞食坊主以外の何物でもない私だつた、愚かな旅人として一生流転せずにはゐられない私だつた、浮草のやうに、あの岸からこの岸へ、みじめなやすらかさを享楽してゐる私をあはれみ且つよろこぶ。
水は流れる、雲は動いて止まない、風が吹けば木の葉が散る、魚ゆいて魚の如く、鳥とんで鳥に似たり、それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、行けるところまで行け。
旅のあけくれ、かれに触れこれに触れて、うつりゆく心の影をありのまゝに写さう。
私の生涯の記録としてこの行乞記を作る。
………………
[#ここで字下げ終わり]
九月十五日[#「九月十五日」に二重傍線] 曇后晴、当地行乞、宿は同前。
けふはずゐぶんよく歩きまはつた、ぐつたり労れて帰つて来て一風呂浴びる、野菜売りのおばさんから貰つた茗荷を下物に名物の球磨焼酎を一杯ひつかける、熊本は今日が藤崎宮の御神幸だ、飾馬のボシタイ/\の声が聞えるやうな気がする、何といつても熊本は第二の故郷、なつかしいことにかはりはない。
あはれむべし、白髪のセンチメンタリスト、焼酎一本で涙をこぼす!
この宿はよい、若いおかみさんがよい、世の中に深切ほど有効なものはない、それにしても同宿の支那人のやかましさはどうだ、もつと小さい声でチイ/\パア/\やればよいのに。
鮮人はダラシがないことは日本人同様、ツケアガルことは日本人以上、支那人は金貯め人種だ、行商人の中で酒でも飲んでゐる支那人をみたことがない。
昨夜は三時まで読書、今夜もやつぱり寝つかれないらしい。
九月十六日[#「九月十六日」に二重傍線] 曇、時雨、人吉町行乞、宮川屋(三五・上)
けふもよく辛抱した、行乞相は悪くなかつたけれど、それでも時々ひつかゝつた、腹は立てないけれど不快な事実に出くわした。
人吉で多いのは、宿屋、料理屋、飲食店、至るところ売春婦らしい女を見出す、どれもオツペシヤンだ、でもさういふ彼女らが普通の人々よりも報謝してくれる、私は白粉焼けのした、寝乱れた彼女からありがたく一銭銅貨をいたゞきつゝ、彼女らの幸福を祈らずにはゐられなかつた、――不幸な君たち、早く好きな男といつしよになつて生の楽しみを味はひたまへ!
今夜はさびしい、広い二階に飴売の若い鮮人と二人きりである、彼は特におとなしい性質で好感が持てる、田舎まはりの仲買人から、百姓衆の窮状を聞かされた、此旧盆を迎へかねた家が多いさうな、此辺の山家では椎茸は安いし繭は安いし、どうにもやりきれないさうな、桑畑をつぶしてしまひたいけれど、役場からの慰撫によつて、やつと見合せてゐるさうな、また日傭稼人は朝から晩まで汗水垂らして、男で八十銭、女で五十銭、炭を焼いて一日せい/″\二十五銭、鮎(球磨川名産)を一生懸命釣つて日収七八十銭、――なるほど、それでは死なゝいだけだ、生きてゐる楽しみはない、――私自身の生活が勿躰ないと思ふ。
向ひのラヂオが賑かだ、どこからかジヤズのリコードが響いてくる、ジヤズ/\ダンス/\、田舎の人々でさへもう神経衰弱になつてゐる。
都会のゴシツプに囚はれてはゐなかつたか、私はやつぱり東洋的諦観の世界に生きる外ないのではないか、私は人生の観照者だ(傍観者であらざれ)、個から全へ掘り抜けるべきではあるまいか(たまたま時雨亭さんの来信に接して考へさせられた)。
鰯の新らしいのを宿のおかみさんに酢漬にして貰つて一本いたゞく、鰯が五銭、酢醤油が二銭、焼酎が十三銭。
一昨夜も昨夜も寝つかれなかつた、今夜は寝つかれるい[#「るい」に「マヽ」の注記]ゝが、これでは駄目だ、せつかくアルコールに勝てゝも、カルモチンに敗けては五十歩百歩だ。
二三句出来た、多少今までのそれらとは異色があるやうにも思ふ、自惚かも知れないが。――
[#ここから2字下げ]
・かな/\ないてひとりである
一すぢの水をひき一つ家の秋
・焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか
[#ここで字下げ終わり]
今日は行乞中悲しかつた、或る家で老婆がよち/\出て来て報謝して下さつたが、その姿を見て思はず老祖母を思ひ出し泣きたくなつた、不幸だつた――といふよりも不幸そのものだつた彼女の高恩に対して、私は何を報ひたか、何も報ひなかつた、たゞ彼女を苦しめ悩ましたゞけではなかつたか、九十一才の長命は、不幸が長びいたに過ぎなかつたのだ(彼女の老耄と枝柿との話は哀しい)。
九月十七日[#「九月十七日」に二重傍線] 曇、少雨、京町宮崎県、福田屋(三〇・上)
今にも降り出しさうな空模様
前へ
次へ
全44ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング