ヨタ二句
・腰のいたさをたゝいてくれる手がほしい
 お経あげてゐるわがふところは秋の風
[#ここで字下げ終わり]
(まことに芭蕉翁、良寛和尚に対しては申訳がないけれど)

 十月廿日[#「十月廿日」に二重傍線] 晴、曇、雨、そして晴、妻町行乞、宿は同前。

果して霽れてゐる、風が出て時々ばら/\とやつて来たが、まあ、晴と記すべきお天気である、九時から二時まで行乞、行乞相は今日の私としては相当だつた。
新酒、新漬、ほんたうにおいしい、生きることのよろこびを恵んでくれる。
歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでゐることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作つてゐることはさみしくない。
昨日書き落してゐたが、本庄の宿を立つ時、例の山芋掘りさんがお賽銭として弐銭出して、どうしても受取らなければ承知しないので、気の毒とは思つたけれど、ありがたく頂戴した、此弐銭はいろ/\の意味で意味ふかいものだつた。
新酒を飲み過ぎて――貨幣価値で十三銭――とう/\酔つぱらつた、こゝまで来るともうぢつとしてはゐられない、宮崎の俳友との第二回会合は明後日あたりの約束だけれど、飛び出して汽車に乗る、列車内でも※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話が二つあつた、一つはとても元気な老人の健康を祝福した事、彼も私もいゝ機嫌だつたのだ、その二は傲慢な、その癖小心な商人を叱つてやつた事。
九時近くなつて、闘牛児居を驚かす、いつものヨタ話を三時近くまで続けた、……その間には小さい観音像へ供養の読経までした、数日分の新聞も読んだ。
放談、漫談、愚談、等々は我々の安全辨だ。

 十月廿一日[#「十月廿一日」に二重傍線] 晴、日中は闘牛児居滞在、夜は紅足馬居泊、会合。

早く起きる、前庭をぶらつく、花柳菜といふ野菜が沢山作つてある、紅足馬さんがやつてくる、話がはづむ、鮎の塩焼を食べた、私には珍らしい御馳走だつた、小さいお嬢さんが馳けまはつて才智を発揮する、私達は日向の縁側で胡座。
招かれて、夕方から紅足馬居へ行く、闘牛児さんと同道、そのまゝ泊る、今夜も話がはづんだ、句評やら読経やらで夜の更けるのも知らなかつた。
闘牛児居はしづかだけれど、市井の間といふ感じがある、こゝは田園気分でおちつける、そして両友の家人みんな気のおけ
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