あつてまた通るのである、途中、三名《サンミヤウ》、岩崎、平郡《ヘグリ》といふ部落町を行乞して、やつと今日の入費だけ戴いた、明日は雨らしいが、明日は明日の事、まだ/\何とかなるだけの余裕はある。
此宿はボクチンでなくてリヨカンであるが、賄も部屋も弟たり難く兄たり難しといつたところ、ただ宿の事を訊ねたのが機縁となつて、信心深い老夫妻のお世話になることになつたのである、彼等の温情はよく解る。
今夜は酒場まで出かけて新酒を一杯やつたゞけ(一合十三銭は酒がよいよりも高すぎる)、酒といへば焼酎しか飲めなかつた地方、そのイモシヨウチユウの桎梏から逃れたと思つたら、こんどは新酒の誘惑だ、早くアルコール揚棄の境地に到達しなければ嘘だ。
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行手けふも高い山が立つてゐる
白犬と黒犬と連れて仲のよいこと
山の水のうまさ虫はまだ鳴いてゐる
・父が掃けば母は焚いてゐる落葉
蔦を這はせてさりげなく生きてゐるか
駄菓子ちよつぴりながらつ[#「つ」に「マヽ」の注記]てゐる
あるだけの酒はよばれて別れたが
・豊年のよろこびの唄もなし
・米とするまでは手にある稲を扱ぐ
茄子を鰯に代へてみんなでうまがつてゐる
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留置郵便は端書、手紙、雑誌、合せて十一あつた、くりかへして読んで懐かしがつた、寸鶏頭君の文章は悲しかつた、悲しいよりも痛ましかつた、『痰壺のその顔へ吐いてやれ』といふ句や、母堂の不用意な言葉などは凄かつた、どうぞ彼が植えさせたチユーリツプの花を観て微笑することが出来るやうに。――
此宿はよい宿ではないけれど、木賃宿よりはさすがに、落ちついて静かである、殊に坊主枕はよかつた、小さい位は我慢する、あの茣蓙枕の殺風景は堪へられない。
隣室は右も左も賑やかだ、気取つた話、白粉臭い話、下らない話、――しかし私は閑寂を味うてゐる、ひとり考へひとり書いてゐる、友人へそれ/″\のたよりを書いてゐると、その人に逢つて話しかけるやうな気さへする、ひとり考へ、ひとり頷くのも面白い、屁を放《ヒ》つて可笑しくもない独り者といふ川柳があるが、その独り者は読書と思索とを知らなかつたのだらうと思ふ、――とにもかくにも一室一燈一人はありがたいことである。
夜は予期した通りの雨となつた、いかにも秋雨らしく降つてゐる、しかし明日はきつと霽れるだらう。
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