る、青柳といへば、昔、昔、その昔、KさんやSさんといつしよにムチヤクチヤ遊びをやつた時代が恋ひしくなる。
こゝの枕はめづらしくも坊主枕だ、茣蓙枕には閉口する、あの殺風景な、実用一点張の、堅い枕は旅人をして旅のあはれを感ぜしめずにはおかない、坊主枕はやさしくふつくらとして、あたゝかいねむりをめぐんでくれる。
宮崎の人々は不深切といふよりも無愛想らしい、道のりのことをたづねても、教へてくれるといふよりも知らん顔をしてゐる、頭もよくないらしい(宮崎の人々にかぎらず、だいたい田舎者は数理観念に乏しい)、一里と二里とを同一の言葉で現はしてゐる、腹を立てるよりも苦笑すべきだらう。
十月三日[#「十月三日」に二重傍線] 晴、飫肥町、橋本屋(三五・中)
すこし寝苦しかつた、夜の明けきらないうちに眼がさめて読書する、一室一燈占有のおかげである、八時出立、右に山、左に海、昨日の風景のつゞきを鑑賞しつゝ、そしてところ/″\行乞しつゝ風田といふ里まで、そこから右折して、小さい峠を二つ越してこゝ飫肥の町へついたのは二時だつた、途中道連れになつた同県の同行といつしよに宿をとつた。
此宿の老主人から、米を渡すとき、量りが悪いといふので嫌味をいはれた、さては私もそれほど慾張りになつたのか、反省しなければならない、それにしても宮崎では良すぎるといはれ、こゝではよくないといはれる、世はさま/″\人はそれ/″\であるかな。
今朝、宿が豆腐屋だつたので、一丁いたゞいたが、何とまづい豆腐だつたことか、いかに豆腐好きの私でも、その堅さ、その臭さには、せつかくの食慾をなくされてしまつた。
朝、まだ明けきらない東の空、眺めてゐるうちに、いつとなく明るくなつて、今日のお天道様がらんらんと昇る、それは私には荘厳すぎる光景であるが、めつたに見られない歓喜であつた、私はおのづから合掌低頭した。
今は障子の張替時である、張り替へて真白な障子がうれしいと同様、剥がしてまだ張らない障子はわびしい、さういふ障子をよせかけたまゝの部屋へ通されて、ひとりぽかんとしてゐるのは、ずゐぶんさびしいものである。
午後は風が出た、顔をあげてゐられないほどの埃だつた、かういふ日には網代笠のありがたさを感じる、雨にも風にも雪にも、また陽にもなくてはならないものである。
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休んでゆかう虫のないてゐるこゝで
一椀の茶をの
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