日泊つて食べるには十分である、それだのに私はさらに鵜戸を行乞して米と銭を戴いた、それは酒が飲みたいからである、煙草が吸ひたいからである、報謝がそのまゝアルコールとなりニコチンとなることは何とあさましいではないか!
とにもかくにも、どうしても私は此旅で酒を揚棄しなければならない、酒は飲んでも飲まなくてもいゝ境界へまで達しなければならない、飲まずにはゐられない気分が悪いやうに、飲んではならないといふ心持もよくないと思ふ、好きな酒をやめるには及ばない、酒そのものを味ふがよい、陶然として歩を運び悠然として山を観るのである。
岩に波が、波が岩にもつれてゐる、それをぢつと観てゐると、岩と波とが闘つてゐるやうにもあるし、また、戯れてゐるやうにもある、しかしそれは人間がさう観るので、岩は無心、波も無心、非心非仏、即心即仏である。
猫が鳴きよる、子供が呼びかける、犬がぢやれる、虫が飛びつく、草の実がくつつく、――そしてその反対の場合はどうだらう、――犬に吠えられる、子供に悪口雑言される、猫が驚ろいて逃げる、家の人は隠れる、等、等、等。
袈裟の功徳と技巧! 何といふ皮肉な語句だらう、私は恥ぢる、悔ゐる、願はくは、恥のない、悔のない生活に入りたい、行うて悔ゐず、そこに人生の真諦があるのではあるまいか。
同宿の或る老人が話したのだが(実際、彼の作だか何だか解らないけれど)、
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一日に鬼と仏に逢ひにけり
仏山にも鬼は住みけり
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鬼が出るか蛇が出るか、何にも出やしない、何が出たつてかまはない、かの老人の健康を祈る。
鵜戸神宮では自然石の石だゝみのそばに咲いてゐた薊の花がふかい印象を私の心に刻んだ、今頃、薊は咲くものぢやあるまい、その花は薄紅の小さい姿で、いかにも寂しさうだつた、そして石段を登りつくさうとしたところに、名物『お乳飴』を売つてゐる女子供の群のかしましいには驚かされた、まさかお乳飴を売るからでもあるまいが、まるで、乳房をせがむ子供のやうだつた、残念なことにはその一袋を買はなかつたことだ。
宿の後方の横手《ヨコテ》に老松が一本蟠つてゐる、たしかに三百年以上の樹齢だらう、これを見るだけでも木賃料三十五銭の値打はあるかも知れない、いはんや、その下へは太平洋の波がどう/\とおしよせてゐる、その上になほ、お隣のラヂオは、いや蓄音機は青柳をうたつてゐ
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