高山君は、智識道徳を以て相対的価値あるものとなし、本能を以て絶対的価値を有するものとなせり。ニイチエ[#「ニイチエ」に傍線]の所謂「世に真なるものなし[#「世に真なるものなし」に傍点]、一切のもの凡べて許さる[#「一切のもの凡べて許さる」に傍点]」の警語は、明かに同様の意義を表するものに非ずや。
高山君の論を読むものは、またその論のニイチエ[#「ニイチエ」に傍線]の夫れと同じく、詩人の世を憤る声[#「詩人の世を憤る声」に白丸傍点]なるを忘るべからず。
吾等は「美的生活論」を読みて、徹頭徹尾賛同の意を表するものなり。今日の世は実に科学万能の世なり、智識全権の世なり、倫理教育全盛の時代なり、而して人間固有の本能殊に自由なる本能を蔑視する時代なり。かゝる世に向て「美的生活論」を標榜し、大に人生本能の発達満足を説く。豈に偉ならずや。
読売新聞の長谷川天渓君が、「美的生活論」に対する批評は、要するに高山君のニイチエ[#「ニイチエ」に傍線]の説に私淑する所あるを知らざりしが為に、起れる幾多の誤解あるが如し。その本能の意義を疑へる、智識道徳の相対的価値を難ぜる、一に唯、以上の根拠を知らざりしに基く。
前へ
次へ
全8ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
登張 竹風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング