者の前者よりも自由なるがために非ずや。彼には桎梏あり、此にはこれなきがために非ずや。何が故に慈善に狂するよりも、佳人と携へて名手の楽を聴くが、本能の満足に適へりや。彼には束縛あり。此には自由あるがために非ずや。
然らば高山君は何等の根拠に基きて、かゝる自由の本能の満足を以て美的生活[#「美的生活」に傍点]と呼べるか。ニイチエ[#「ニイチエ」に傍線]は以為らく。余に向ては余が美しと思惟し能ふものゝみ美なり。余が官能に媚び余が自我心に服従するものゝみ美なり。世間一般の煩瑣なる芸術の法則の如き、余に於て何かあらむと。
高山君の本能の満足を以て、美的生活[#「美的生活」に白丸傍点]と呼べる所以は、ニイチエ[#「ニイチエ」に傍線]がこの語を知らざるものゝ解すること能はざる所ならむ。
高山君は、何が故に戮力《りくりよく》を要して成れる道徳を以て虚偽なりとなし、悪心あるものとなせるか。ニイチエ[#「ニイチエ」に傍線]の悪心説[#「悪心説」に白丸傍点](das schlechte Gewissen)を知らざるものは、またこの意義を解することを得じ。(拙著ニイチエ[#「ニイチエ」に傍線]と二詩人参照)
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