郷に彷徨はなければならなくなつた理由――何も彼も捨てゝさびしい野に呼吸しなければならなくなつた理由に今しもぴたりと打突つたのであつた。かれの心は暫し内に向つて開けた。かれはそこにかの女を見た。何うしても捨てゝ了はなければならなくなつたかの女を見た。(何うしてその身もさうした苦痛から奮ひ起てないのか。否、あの石仏を刻んだ人のやうなあゝしたすぐれた努力がありさへすれば、この身はかの女を捨てなくとも浮かべたのだ! 此方の心が、苦しみが浅かつたのだ! 世間並だつたのだ!)しかしMはそれについては何一言も人に話さなかつた。

         四

 Aにも矢張さうしたラブ・シツクがあつた。かれが此方に来てゐるのは、それはそれが直接の原因ではなかつたけれども、間接にはそれが痛さに、その失恋に触れられるのが痛さに望んで此方へとやつて来たのであつた。Aは此方に来てから、もはや三年以上にもなつた。誰もがさうした恋の苦悶を持つてゐるなどとは知らなかつた。Aは何方かと言へば交際上手で多くの人達に好かれてゐた。感じも明るい方であつた。しかし、夜などひとりでゐると、その恋が生き生きと胸に動き出して来て何うする
前へ 次へ
全8ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 録弥 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング