ことも出来ないやうなことがをりをりあつた。
しかしMがその恋の苦痛をAに話さないのと同じやうに、Aもその心の中をMに語らうとはしなかつた。二人はやがてそこから起ち上つた。
かれ等は来た時の路を静かに下りて行つた。重つた山は次第に開けて、眼下には赤ちやけた低い山で取巻かれたかなりにひろい野があらはれて来た。気が附くと、そこには白い烟を出して走つてゐる汽車が玩具か何かのやうに小さく小さく見えてゐた。
「もう一度、あとに戻つて、あの石窟のところにゐたいやうな気がしますね。あゝした静寂な芸術の世界もあるのにあれを捨てゝ、一歩々々娑婆に下りて行くのは、残念なやうな気がしますね」
「本当ですね」
二人はかう言つただけであつた。かれ等は各自に自分のことを考へてゐた。
底本:「定本 花袋全集 第二十一巻」臨川書店
1995(平成7)年1月10日発行
底本の親本:「アカシヤ」聚芳閣
1925(大正14)年11月10日発行
入力:tatsuki
校正:林 幸雄
2009年4月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.a
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