ら、内地のやうなわけには行きませんから。里程はそんなにないですけれども、百里足らずですけれども、十二三日は何うしてもかゝりませうね――」
「大変ですな――。それにしても、赤峰といふところは、錦州《きんしう》からも行けるやうにきいてゐますが、あつちの方が近くはないのでせうか?」
「あつちの方がいくらか近いですけれども、馬車が北京よりももつと乏しいさうですから」
「さうですかな。何にしても大変ですな。あなたはまア好いとしても、奥さんが大変ですな」
「え……」
それだけで別れてBは二階の方へと行つた。Bはそれからあちこちと見物した。万寿山へも行けば、万里《ばんり》の長城《ちやうじやう》へも行つた。梅蘭芳《メイランフワン》の劇をも見れば琉璃廠《るりしやう》の狭斜へも行つた。Bは北京に三|夜《や》泊つた。かれがそこを立つて奉天《ほうてん》の方へ来る時にも、H夫妻はまだその旅舎《りよしや》の一室に滞留してゐた。
しかもそのH夫妻が例の轎車《けうしや》に乗つて、蒙古風のすさまじく吹き荒む中を、遮るものとてもない曠野の中を、小さな集落があつたりさびしい町があつたりする中を、埃塵に包まれてガタガタと進んで行くさまは、はつきりと絵になつてBの眼の前に描き出された。Bは古い駅舎の※[#「火+亢」、第4水準2−79−62]《かう》の上に毛布を敷いて夜ごとに佗しく寝るH夫妻を想像した。一輌の轎車の覚束なく塞外の地へと一歩々々動いて行くさまを想像した。またあのドイツ種《しゆ》の大きな犬が絶えずその若い美しい夫人を護衛して進んで行つてゐるさまを想像した。
底本:「定本 花袋全集 第二十一巻」臨川書店
1995(平成7)年1月10日発行
底本の親本:「アカシヤ」聚芳閣
1925(大正14)年11月10日発行
初出:「婦人公論 第九年第九号」中央公論社
1924(大正13)年8月1日発行
入力:tatsuki
校正:林 幸雄
2009年4月9日作成
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