れるほどそれほど声が美しかつたばかりではなく、一種支那でなければ味ふことの出来ない哀愁をこめた旋律が、その暗い狭い汚い一室に巴渦を巻くやうに漂ひわたつた。私は急にそこに芸術のエンヂエルが下りて来たやうな感じに撲たれた。
 それは何処の国にもそれ相応に独殊な歌の旋律はあるだらう。ロシアにはロシアの旋律があり、フランスにはフランスの旋律があるだらう。日本にも日本特有の旋律があるだらう。しかも、このセンチメンタルな歌声は? 絶えんとしてわづかに続くと言つたやうな、または身も魂もそれに打込んで了つたといふやうなその悲しい美しい恋の曲は! 実際、これは支那でなければ味はふことの出来ないものではなかつたか。
 歌曲の終るのを待つて、
「好いな……。矢張、支那だな。何んな場末でも、支那は支那だな。本家だな! といふ気がするな。※[#「滴のつくり」、第4水準2−4−4]女不[#レ]知亡国恨、隔[#レ]江猶唱後庭花、多恨な杜樊川でなくとも、これをきくと涙を誘はれるよ」
「本当ですな、わるく感情的ですな」
「これで好い心持になつた――」
 汚い茶湯台も、不愉快な寝室も、低い天井も、薄暗い空気も、何も彼もす
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