た静けさの中を驀地《まつしぐら》に走つた。
 その黎明《しのゝめ》の茫とした夢のやうな空気の中に、最初の私の発見した停車場《ていしやぢやう》の名は白い板に万家嶺《まんかれい》 Wan−chia−ling と書いてある字であつた。「お、もう万家嶺だ! もうあと二つしきやない」かう思つた私は身を起した。その時にもその大きな丸髷は暁の光の雑《まざ》つた灯《ひ》の中にくつきりとあらはれて見えてゐた。[#「見えてゐた。」は底本では「見えゐた。」]
「おい、君、もう熊岳城だよ」九寨駅を通り過ぎてから、私はBを揺り起した。「もうさうかね?」とBは言つていきなり身を起した。車窓の外には霧が白く流れた。「好いな? 朝は?」
 Bは画家らしくあたり見廻したが、小声で、「先生、終夜《よつぴて》、あゝして起きてゐたね」と囁いた。
 私も笑つて見せた。
 大連を立つて来る時には温泉行きの二人連が幾組かゐたが、皆な湯崗子《ゆかうし》行きだと見えて、そこで下りたのは私達とその二人と他に二三人の旅客があるだけであつた。私達は大きな鞄を一時預けにしたりして、いくらか手間取つてゐる間に、その二人は逸早く苦力《くーりー》に
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