乗らうとした。
 直行なら六時のもあつたのであるけれども、熊岳城《ゆうがくじやう》の温泉を素通りにするのは惜しいので、一度そこで下りやうと言ふので、それでわざわざその汽車を選んだのであるが、割合に混雑してゐて、プラツトフオムは乗客やら見送人やらで一杯になつてゐた。「いやに込むぢやないか? 誰か大官《だいくわん》でも立つのかね?」見送に来て呉れた本社の人達もそんなことを言つてゐたが、ふと私は私の前に夜目にもそれとわかるほど白粉《おしろい》をつけて盛装してゐる大きな丸髷の美しい女を見た。一緒に伴れ立つた背の高い背広の外套の男は、ソフトをかぶつて、大きな鞄などを持つてゐた。
 突然、Bは小声で私に囁いた。
「来てるよ、君……」
「え?」
 何が来てゐるのか私にはさつぱりわからなかつた。
「え――……?」
 私は繰返して問うた。
 Bは今度は私の耳に口を寄せて、向うを顎で指すやうにして、「そら? いつか言つた? Sさんの?」
「あ、さう――?」多分その女……そのS氏の子供を生んだ女だらうとは思つたが、大丸髷に結つてゐる上に、傍《そば》に伴れの男がゐるので、いくらか腑に落ちないやうな気分を私は持
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