次第に私は笑へなくなつた。私はそこに人生を感じた。恋を感じた。Sさんのさびしさを感じた。その前生《ぜんせい》を白粉と丸髷で塗りかくして、さうして温泉に出懸けて行く女のさびしさを感じた。また新しい女を得た喜悦《よろこび》はあるにしても、妻を他に奪はれた男の心の佗しさを感じた。汽車は明るい車室の連続を長蛇のやうにあたりを際立たせて、闇の中を、荒凉とした満洲の野の闇の中を轟々として走つて行つてゐたが、しかも私はその中に更にくつきりとその大きな丸髷を見せて終夜一睡もせずに起きてゐるその女を見た。

         三

 徐《しづ》かに夜は明けて来た。私は車窓の明るくなつて来るのを感じた。曠《ひろ》い野に銀のやうな霧が茫とかゝつて、山も丘もぼんやりとぼかしのやうに空に彫られてあるのを私は感じた。それにしても何といふ静かさだつたらう。何といふ穏かさだつたらう? これはとても内地などでは見たり感じたりすることの出来ないものであつた。また満洲でも、五月の末から六月の初めでなければ見ることの出来ないものであつた。露はしつとりと草や木の緑の上に置いた。秋のやうに深く濃《こま》やかに置いた。汽車はさうした静けさの中を驀地《まつしぐら》に走つた。
 その黎明《しのゝめ》の茫とした夢のやうな空気の中に、最初の私の発見した停車場《ていしやぢやう》の名は白い板に万家嶺《まんかれい》 Wan−chia−ling と書いてある字であつた。「お、もう万家嶺だ! もうあと二つしきやない」かう思つた私は身を起した。その時にもその大きな丸髷は暁の光の雑《まざ》つた灯《ひ》の中にくつきりとあらはれて見えてゐた。[#「見えてゐた。」は底本では「見えゐた。」]
「おい、君、もう熊岳城だよ」九寨駅を通り過ぎてから、私はBを揺り起した。「もうさうかね?」とBは言つていきなり身を起した。車窓の外には霧が白く流れた。「好いな? 朝は?」
 Bは画家らしくあたり見廻したが、小声で、「先生、終夜《よつぴて》、あゝして起きてゐたね」と囁いた。
 私も笑つて見せた。
 大連を立つて来る時には温泉行きの二人連が幾組かゐたが、皆な湯崗子《ゆかうし》行きだと見えて、そこで下りたのは私達とその二人と他に二三人の旅客があるだけであつた。私達は大きな鞄を一時預けにしたりして、いくらか手間取つてゐる間に、その二人は逸早く苦力《くーりー》に
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