て、簡単なロシア語で、アンナ・パブロオナといふ女の住宅を訊いた。
 始めは容易にわからなかつたが、三度目に訊いた子供が運好く知つてゐたので、そのまゝ迷ひもせずに、かれ等はその裏道の方へと入つて行つた。
 小さな門のところへと行つて子供は立留つた。
 見ると、果して、アンナ・パブロオナとその名が記してあつた。
 時子が先に立つて、あとからBが続いた。と見ると、入口の処に中年のロシアの女がゐて、けゞんな顔をして此方《こなた》を見てゐたが、Watanabe――といふ言葉を一言時子が発音すると、内にゐてそれを聞きつけたらしい美しい、三十ぐらゐの女が急にそこにその半身をあらはした。アンナであることがすぐわかつた。
 Tokio―Watanabe―唯それだけでアンナにはすべていろ/\なことがわかつたらしく、慌たゞしげに且つ喜ばしげに急いでB達をその家《いへ》の中に請じた。
 それは小さな宅《うち》ではあつたが――その一室とその向うにもう一つ室があるだけで、仔細に見れば、その貧しさが、また其惨めさがそれと察せらるゝほどであつたが、否これと見ただけでも、そのアンナがハルピンの普通の踊妓《をどりこ》のやうな生活をしてゐないといふことが、さつき想像したやうにきまつた保護者すらこの人にはないといふことが、それとはつきり時子にも呑み込めて来たのであつたが、アンナに取つても、B達がかうして揃つて訪問して来て呉れたことに対しては非常に感謝したらしく、頻《しきり》にチヤホヤとかれ等を※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]待した。B達は東京からの言伝《ことつて》を述べたり、託されて来た手紙と金とを其処に出したりして、アンナを喜ばせたが、その室《へや》の壁に接して十字架に並べてその Watanabe のカビネの写真像の置かれてあるのを眼にしたときには、彼等は思はず感激の声を立てた。



底本:「定本 花袋全集 第二十一巻」臨川書店
   1995(平成7)年1月10日発行
底本の親本:「アカシヤ」聚芳閣
   1925(大正14)年11月10日発行
初出:「北海タイムス」
   1925(大正14)年1月15、17、19、21、23日
入力:tatsuki
校正:林 幸雄
2009年4月9日作成
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