自認しているのが常識である。それに背くことはいわゆる型破り者として、世間の迎うるところとはならない。よほどの信念と勇気あるにあらざれば型破りの離れ業は出来得るものではない。例えば木菴の弟子に良寛様のような態度の者があったとしたならば、それは必ず異端者としてか、あるいは意気地なしとしての取り扱いを受けねばすむまい。型破りをいえば西行法師の書も僧侶型ではない。穏健に通常万人の字が書かれている。
 太閤様の字なども当時よく見るところの将軍型ではない。きわめて自由な、芸術的、美術的なものであって、太閤の前に太閤の書なし、太閤の後に太閤の書なしと、叫んでもさしつかえないまでに創作的雅美に富んだ自由型である。
 これらはいずれも一代の勇者であり、信念の天才人であったからであろうが、また考え方では西行様が鎌倉時代において、あの字を書かれていることには別段不思議はない。鎌倉時代というものはまだまだなにかに調子高い芸術の生まれた時代である。西行様一人が特によい字を書かれたのではない。むしろさらにさらにその上手を行った字もあったようである。西行様の字は良寛様のように一大天才であるというのではなかろう。良寛
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