様から見ては多少の艶も見られる。しかし、身嗜みから学ばれている点においては良寛様と同じ態度の書家であると申されようか。それはとにかく私が良寛様の出現に驚異を感ずるものは、徳川末期であるということである。徳川末期は芸術のなさけないまでにしなびてしまった時であって、きわめて低調な書画彫刻をもって充たされ、鑑賞力もいやが上に低落し、江戸前的民衆芸術に浮身をやつし、書道のごとき桃山期まではとにかくも本格的に踏み止っていたものが、徳川からは根幹を失い枝葉へ、末節へとひた走りに走り、正体なく貫禄を落してしまった時である。かくのごとき末世的時代にあって、わずかにたった一人の良寛様が、敢然古の本格に道を撰んで歩まれたのであるから、私は良寛様の特異的善書を口をきわめて称え立てないではおられないのである。
 私は良寛様が自分の親類とか縁者ででもあったらと考えることさえある。さればといって、私は良寛様の字をそのまま真似て見ようなどと思う者ではない。それはあまりに恥かしい仕業であると思うからである。良寛様の書風、すなわち形貌だけを手先に任せて、内容のなに一つを持ち合さない私が自分へ移植して見たところで、それは
前へ 次へ
全15ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北大路 魯山人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング