り売らん哉であろうはずもなく、好きと心の身嗜みで進暢が計られたものに違いない。見て欲しさ、買って貰いたさの手伝ったもの、それはなんとしても、力一ぱいが尽された上に、なお無理矢理、背伸びして高さを誇るのが世の常である。しかるに俗欲のすべてに未練を断たれた良寛様は、書道を研く上にも世俗の誰もが得て持つところの腕を売るの欲などは持たなかった跡が歴然と表示されている。しかし好きの点では人一倍ただならぬまでに好き者であったに違いない。
 かくまで書道を純真に芸術的に理解することが出来て、大所高所からそれを見下すことの出来るということは書道を愛好するものの最大理想である。その超邁な見識とその真摯なる態度から生まれた良寛様の書は、徳川末期における一大奇蹟である。実に良寛様の芸術的態度と見識は、これまったく良能の革新者のみがもつ新思想であって、敬服に堪えざるところである。誰にしても口先ではなんのかのというものの、実際型に囚われないということは、まず出来ない相談と見てよい。僧侶は僧侶型、学者は学者型、武人は武人型と底を割って見れば大体は自分の職業守護から、その型に入りやすく型を護ることの当然であることを
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