に比すこともできれば、低能あるいは不良に比すべきもので、優れた教育家の苦心が払われたとしても、その成果はおぼつかないものであると同様である。
 ことに食物の材料は、さかなひと切れにしても、だいこん一本にしても、同じ値段で相当良否の別がある場合が間々《まま》あるのであるから、まず物を見てよいと認識して後、はじめて買いものをする習慣をつけることが肝要である。男なら酒のよしあしをやかましくいう酒|呑《の》みのように、ものの吟味《ぎんみ》を注意深くするようになれば、料理のよしあしが語れるわけである。そこで概念的に考えねばならぬことは、値段の安いものは概《がい》して下《くだ》らぬものが多く、値段が高いものは総じて品物がよいということである。それは何物でもある。ただし、掘り出しものは別である。それはいうまでもない。
     *
 誰でもふつうに、商売人の手になった料理は、美味いものかのように考えるが誤認である。なるほど、商売人は料理の玄人《くろうと》である。しかし、玄人はいろいろの条件において料理をする。第一に値段を考えて料理をするであろう。邪道《じゃどう》であるけれども、商売上であれば、採算の
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