得よ。
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日本料理は日本の美しい器にて、これは茶道にてきわめられている。けれども、今日《こんにち》の日本料理はもっと豊富なものになっている。また、科学的方面からも考察されている。われわれの味覚の嗜好《しこう》にも変化を来たしている。料理に使用される材料にしても、時代的な変遷《へんせん》が大《おお》いにあるであろう。今日の料理の堕落《だらく》は商業主義に独占されたからだと考えられる。家庭の料理は滅びる。家庭の料理が滅びることは、それだけ心身ともに不健康な人間が多くなることだ。
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料理に一番大事なことといえば、それは材料のよしあしを識《し》ることである。材料のさかな、あるいは蔬菜《そさい》など、優れてよいものを用いる場合は、料理は、おのずから易々《いい》たるものである。よほど頓馬《とんま》な真似《まね》をしないかぎり、美味《うま》い料理のできるのが当然である。
例えば瀬戸内海の生きのよいさかながあって、それが折りわるく下手《へた》な料理人の手にかかったとしても、種がよいために、どうにかこうにか美味く食えるものである。野菜にしても、京都のものなどで、新しいものを
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