好適ではない。これは飯《めし》のものである。だから、握りずしで食うのが第一、熱飯《あつめし》の上に載せて食うのが第二である。まぐろの茶漬けなぞも通人《つうじん》のよろこぶものである。(まぐろの茶漬けというものは、炊《た》きたての御飯の上に、まぐろを二切れ三切れ、おろし少々載せて、醤油《しょうゆ》をかけ、その上から煎茶《せんちゃ》の濃い熱いのを注《そそ》いで食うのである)事実、東京において消耗されるまぐろの七分通りは、すしの原料とされているようである。
元来、東京の自慢であるたべものは、概して酒には適さない。すし、てんぷら、そば、うなぎ、おでん、いずれも酒の肴としては落第だ。おでんで飲む向きもあるが、これは他に適当な酒肴《しゅこう》がない場合だ。まぐろの消費量の七分はすしに使うといったが、もちろんそれは夏過ぎて涼風《りょうふう》が立ち、だんだん冬に向かうようになってからのことであって、夏のしびまぐろは、たいてい切り身となって魚屋の店頭を賑《にぎ》わすのである。魚河岸《うおがし》における一日約一千尾の大まぐろは、大部分が焼き魚、煮魚として夏場《なつば》のそうざいとなるのである。もっとも冬場《ふゆば》でも、まぐろの腹部の肉、俗に砂摺《すなず》りというところが脂身《あぶらみ》であるゆえに、木目《もくめ》のような皮の部分が噛《か》み切れない筋《すじ》となるから、この部分は細切りして、「ねぎま」というなべものにして、寒い時分《じぶん》、東京人のよろこぶものである。すなわち、ねぎとまぐろの脂肪とをいっしょにして、すき焼きのように煮て食うのである。年寄りは、くどい料理としてよろこばぬが、血気《けっき》壮《さか》んな者には美味《うま》いものである。
聞くところによると、いわゆる朝帰りに、昔なら土堤八丁《どてはっちょう》とか、浅草田圃《あさくさたんぼ》などというところで朝餉《あさげ》に熱燗《あつかん》でねぎまとくると、その美味さ加減はいい知れぬものがあって、一時に元気回復の栄養効果を上げるそうである。また脇道に逸《そ》れたが、男の美味いとするまぐろの刺身《さしみ》の上乗《じょうじょう》なものは、牛肉のヒレ、霜降《しもふ》りに当たるようなもので、一尾の中、そうたくさんあるものではない。胴回りでいえば、砂摺りと背に至る中間、身長でいえば、頭の付け根より腹部の終わりぐらいまでのところを中
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