筆にも口にもつくす
北大路魯山人
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)小菅《こすげ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)わらじ[#「わらじ」に傍点]
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ある日、ある女人と、こんな話をした。
「先生、料理をするときの心がけについて話していただけませんでしょうか」
「なるほど、君はなかなかいいことを聞くね。方法を聞かずに、心がけを聞くところに見どころがあるね。それはね、まず、親切ということだ。親切を欠くなということだ」
「ハイ、親切を欠くな……でございますか」
「そうだ、真心だね。こんな話がある。あるひとが別荘にいた。別荘にも、いろいろあるが、あまり、ありがたくない別荘だよ」
「まあ申せば小菅《こすげ》のようなところですの」
「うむ、君はなかなかもの分りがいいな。つまり、そうした別荘だよ。そこでだ、その別荘に、毎日差し入れがくる。弁当がとどけられるのだな。日々いろいろのひとから、差し入れ弁当がとどくのだよ。友人からとどくもの、知人からとどくもの、そのひとが世話してやったひとからとどくもの、また、そのひとが別荘から出た時に、そのひとを利用してやろうと思う奴からとどくもの、いろいろだからね。そのなかで、そのひとが差し入れ人の名を聞かずとも、すぐに分る差し入れ弁当があった。それは、そのひとの、おっかさんからとどけられるものだった。そのひとはすぐに、それが母親からのものだと、分ったそうだよ」
「先生、やはり、その母親からとどけられる弁当には親切があるからですね」
「そうだ、そうだ、誰の弁当にもまさる真心がそのひとに通じたのだな」
「分りました。先生、ではいちばん親切な料理は、母親や女房の作ったものということになりますわね」
「そうだとも、そうだとも」
「では、先生、伺いますが、恋女房がそれこそ真心をつくしてこしらえてくれた料理がぜったい世の中でいちばんおいしいはずなのに、よそで食べる料理のほうが、はるかにおいしい場合があると思いますが、いえ、たいていの場合、家庭料理より、料理屋の料理のほうがおいしいことが多いのですが、これはどうしてでしょうか、先生」
「うむ、君はいいところを突いてくるね。わたしは、親切心、真心がいちばん大事だといったが、それがいちばんおいしいとはいわなかったはずだ」
「うまくお逃げになりましたね、
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