れは先生、真実を表現することでございますわ」
「真実を表現するためには、真実を見出《みいだ》すことが必要ではないでしょうか」
「もちろんでございますとも」
「それならうぐいすはどんな木に止まりますかね」
「それは、だからいろいろでございますわ」
「うーむ。これはおもしろい。あなたのうぐいすは浮気ものですね。わたしの庭に来るうぐいすは、やはり、梅の木に止まります。毎年春になると、母親のうぐいすが、子供をつれて梅の木にまいりますよ。そして母うぐいすが、子うぐいすに、うたを教えるのです」
歌人は驚いたようにわたしを見つめている。
わたしはかまわず続ける。
「梅にうぐいすということは、言葉の語呂のよさでもなく、絵描きの都合上そうなったのでもない。やはり、うぐいす自身の自由な意志で、梅の木に止まるのですよ。それを見た絵描きが、いつもうぐいすが梅に止まるので梅にうぐいすを描いた。他の絵描きも描いた。年々このようにして梅にうぐいすが描き継がれてきた。歌人もこの事実を歌った。そして、幾春秋、梅にうぐいすは一つの真実の美から、概念の美になってしまった。あなたは新しいものを歌おうとされる。だが昭和のモ
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