ダーンうぐいすもやはり梅の木に止まる。あなたが概念に囚われて机上で歌を作ろうとするから陳腐なのであって、あなた自身の目でこれを見て、感じて、歌われれば、決してそれは古くはないはずです。どうです?
 梅は何百年も前からある。うぐいすもそうだ。料理の材料だって人間の食べるものは、だいたい決まっている。古くから、人間が食べなれている料理だから、この料理の取り合わせは陳腐だといい切ってしまっていいかどうか。一つ、誰も試みていない新しいものを取り合わせてやれ。握り寿司にすましは古いから、一つ、すましのかわりにとんかつを添えてやれ、ということになったら無茶苦茶。うぐいすは梅を好む。好むところに調和がある。すきやきの後では茶漬けが食いたい。洋食の前にスープを飲めば食欲が出てご馳走がおいしい。すべて、好むところに調和がある。自分で食べてみればよくわかる。虎の掛け物に、置き物は竜を置いたり、うなぎの蒲焼きと一緒にはもの照り焼きを出してみたり……すべて調和か統一かが大切だ。そして、季節のいちばん感じられるものがいいとわたしは思う。色の配合も、調和か統一だと思う。そうかといって、今までのやり古された真似ばか
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