京の星岡は十年間経営して失敗しないが、大阪のはどうかなんてゴテゴテいうひともあるが、とにかく、料理道を本格的にやっていけばどこも同じだ。牛肉屋でも何屋でも日本人の食うものを料理するというのだが、それがなかなか分らん。分らんはずだ。算盤《そろばん》ずくで商売している者からは……星岡は道のために努力をしているのだが、自分でいうのは変だが、こんなのはどこにもありませんよ。初めから利益のために商売しているんじゃ、本当のことは出来ない。勘定を合わすことばかり考えていてはだめだ。今の料理屋は根本的にいえば器物からしてだめだ。食い物の相棒の食器のことを放縦していて、食い物をじかにお膳《ぜん》の上に置けますか……それを合わせ物かなにかで間に合わせてすましている。食器は食い物の女房のような役だ。食器がよくてもこんどはそれをのせるお膳だ。お膳を置く場所だ。これくらいのことをいえなくちゃ一流じゃない。それをですね、世間の料理屋は、なんにしても十円の物だとしたら、それは五円の価値しかない物を、十円取ろうとしているから、自分の女房を客席に出してサービスさせたり、主人が必要以上に挨拶《あいさつ》に出たりなんかしな
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