まった。

       料理屋の経営

 日本人の食う料理はみな日本料理だよ。うなぎ屋でも、寿司屋でも、何屋でもそれは日本料理だ。しかし日本料理が十種あるとしてだね、その中の一つだけを知っているというのが、今の日本料理人だ。後の九つは知らんでもすましている。そういうことを指導したり取り扱ったりする人間がほとんどいないんだね。星岡の取り扱うものは日本人の食うすべてのものだ。だから日本料理といえる。西洋料理や、中国料理にはまたおのずからその道がある。それをやるとすればまた僕の気に入るような設備をしなければならない。とにかく、世間並みのこととは根本的に見解が異なる。金|儲《もう》けの一途にしているのではないんだから、ただその柄を同じうするだけだ。世間のは料理人が労働者で主人が資本家で、それで利益のために商売している。利益が最後の目的だ。そこが星岡と違うところだ。経営上維持してゆく以上の利益は図らない。金を儲けてそれで競馬をやったりいろいろ俗な遊びをしたりするんじゃない。
 料理道ということを本格的にやっていくため、日本料理界の建てなおしのためだ。世間並みの料理屋は料理道を楽しんでいない。東
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