あって軍司令部に勤めていた。ところがこの司令部へ持って来る親子丼がうまい。変な話だが、その卵がいつも半熟で加減がいいんだね。あれは今でも不思議に思っている。も一つ朝鮮の食い物で記憶に残っているのは、京城(ソウル)から新山へ行く途中に大きなせりがつくってある。大きいのなんの、太くて長い、二尺五寸もある。まるで藪《やぶ》をなしているんだが、みるからにやわらかそうで、食ったらさぞ美味いだろうと思われる。でそこを通るたびに羨《うらや》ましくてならなかった。僕はその前から水菜のパリというのが非常に好きだった。水菜をさっと茄《ゆ》でて食うのだが、さっと茄でたものは翡翠《ひすい》のようないい色をしていて、食うとパリパリする。非常に美味い。これは煮過ぎては、色も悪くなるし香気もなくなり、食ってもパリパリしなくなって、わずかな加減でだめになるが、僕はそのせりをみるたびにこのパリをやったら美味かろうと考えていた。そしてある日とうとうそこの内儀さんに頼んで、その大きなせりを買って来て、せりのパリをやってみた。いや、実に美味かったね。いい若い者がせりばかりを悦に入って食っていたんだから、傍からみたら変に思った
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