ら、それでは天金のてんぷらをどれだけ食ったかというと、なにろくに食ってもいない。そのくせ、あそこのてんぷらはかやの油を使うからうまいなどと、もっともらしいことをいう。そんなことをいわれると知らないものは、かやの油というものは高いものなんだ、などと思う。しかるにかやの油なんてものはかえって安いものだ。そうすると、かやの油、かやの油と宣伝して、結局どういうことになるかね……。
 だから孔子あたりが昔から、飢餓は食を弁ぜず、食するひとはあれど食を弁ずるひとは少なしなどといっているが、ほんとうだ。
 僕は徹底的にものを食ってきたが、小さい時から味をぐっとこう見詰めている癖があったね。それになんというか楽しんで食うという気分があったね。物を自由に食うには実際問題として金がなければ食えない。僕は貧乏書生だったから、そう自由には食えなかったが、しかしおもしろいことがある。
 僕が二十一、二の頃でもあったろう。あるところの事務員をしていた。僕の上にいた課長というのが、後に資生堂の重役になった男だが、この課長が僕|等《ら》といっしょに昼飯を食う。僕らは金がないからろくなものは食わないが、課長ともあろうものがやっぱり僕らと同じものを食っている。僕はどういうわけだと思ったね。きっと夜はうまいものでも食うんだろうなどと考えたりしてね。ところが、僕はそのころでもいわば、少し風流だったんだね。僕は昼飯によく豆腐を食うんだ。豆腐は安くてしかもうまい。しょうゆは家で拵えて持って行くんだ。ところが豆腐をただ食っていれば、別に話はなかったが、この豆腐を入れる容《い》れ物が、当時ギヤマンと呼ばれていた紅|硝子《ガラス》の切子細工で実に見事なものなんだ。そのギヤマンの中へ真っ白な豆腐を盛って食うんだから、これが見た目も美しく、うまそうなんだね。するとある日課長に、君は実に贅沢じゃないか、といわれた。そこで僕はなにが贅沢なものですか、豆腐がいくらするというんです、おそらく誰よりも安いもので飯を食っているわけじゃありませんか。事実そのとおり安いもんだからね。ところが、豆腐はなるほど安いが、それを入れる容器が今いったような美術品だもんだから、傍《はた》からみるとまったく贅沢でもあり、またいかにもうまいものでも食っているように見えるんだね。だもんだから課長も、なるほどそりゃそうかも知れんが、その容れ物が第一立派じゃないかといって、それが贅沢だというんだ。今から考えてみりゃ余計なことだが、当時はそういうことをいった。そこで僕は、これは実は嘘だったが、なるほどギヤマンは贅沢かも知れないが、これは僕の家に昔からあるもんで、他の容れ物がないからこれを使っているんです、と抗弁した。実は、そのギヤマンというのはなけなしの小遣いをためて、当時の身分としては不相応の金を出して買ったんだから、このいいわけはインチキなんだけど、これで課長もなんともいえなかった。
 要するに物を食うには、なければないでどこか風流だったんだろうね。豆腐を食って贅沢だといわれたのは、おそらく僕ぐらいのものだろう。
 風流といえば、当時の風流人に岡本可亭があった。これは岡本一平のお父さんであるが、当時僕はこのひとに連れられて、入谷の朝顔、団子坂の菊などを見に行った。朝顔などはすでに京都の方がずっとすぐれていたから、京都の朝顔を知っていた僕にとっては入谷の朝顔など至極つまらないものであったが、当時のいわゆる風流人はそういうところへ行っては、帰りに根岸の「笹乃雪」へ寄って来たりするのであった。僕が若いに似ず風流を解するというので連れて行かれたものなんだね。そこであの笹乃雪なるあん掛豆腐を食ったりしたものだが、これが小さいものだから、二十や三十くらい食うのは瞬く間だね。中には五十も六十も食うということを自慢にしているものもある。それから僕は一人でもよくここへ出かけた。行きかけるとどこでも、舌が徹頭徹尾承認するまで行くんだね。そんなわけだから自分の給料というものは、まったく食う一方に使われた。だから友達の中にはうらやましがっているのもあったね……。

       朝鮮の牛肉

 徹底的に食うということでは、朝鮮へ行った時のことだが、二十四、五歳のころだ。朝鮮にはうまいものはまずない。ところが朝鮮の牛肉が割合にうまかった。もっとも他に食うものがないからでもあったが、牛肉がうまいというので、その話をある男にすると、いくら美味しくても一カ月とは食えまいという。いやそんなことがあるもんかというので、毎日牛肉を食った。そしてついつい半年食いつづけた。
 しかし、さすが半年食いつづけたら、しまいには少しいやになったね。
 朝鮮時代の食い物で今でも覚えているのは、親子丼の味だね。僕は当時これでも書家をもって立っていたんだが、職務は軍属で
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