くちゃならないんだ。料理道の本分を全うせずして商売していこうとするから見識もなにもあったものじゃない。星岡は料理の本格学校みたいなものだ。それだけの力のある者はどんどん登用する。陸軍大学だって少佐に成ってから入るが、ここもそれと同じようなものだ。今の料理人はなにも知らん。板場でゴトゴトやっているだけで客席に出す様子も知らんしね。そんなことをどうするかっていうのが料理だ。とにかく、世間とはぜんぜんお膳立が違う。見識が違う。さもなければ天下の名士が無意味な金を出しますか。金の有効な使い道を知っている紳士達だ。利益ずくじゃないってことはこれでも分る。大阪の方でも、東京の星岡の十年間のことを認識しているからね……通常の考えとは頭が違う。それを自分に頭のない者は、星岡というものを競馬にでも当たった当たり屋のように取っている者がある……まぐれ当たりは十年後いよいよ栄えるわけにはゆかん。しかし、見る者はそうでも思っていないと、自分達が安心出来ないからねえ。
とにかく世の中には、酢でもこんにゃくでも食えないように鋭い商人があるが、星岡はそうじゃない。時に酢でもこんにゃくでも食えないように大坊ちゃんだ。昔武士が「尋常に勝負」といって立ち向かうが、あの真剣な態度が星岡だ。大坊ちゃんの仕事だ。さもなくば名士が相手にならないよ。こんなことはひとがいうことだけれども、誰もいわないから僕がいうんだ。半分だけみて、坊やとあなどると失敗するよ。むずかしい大坊ちゃんだ。そういう意味において、豊臣秀吉なんかも酢でもこんにゃくでも食えない大々的な坊ちゃんらしい。だから大物になれる。けちな欲気なんか少しも持っていないのが太閤《たいこう》だ。
鰻の下拵え
すずきのごとき魚も洗いにしてうまいものだが、東京の職人のこの作り方をよく心得ているものが少ない。また、うなぎのごときも東京には本物のうなぎが少なく、ほとんど養殖ものばかりといっていい状態だが、このうなぎの扱い方などをみているとなかなかおもしろい。
これは東京の職人がだんぜんうまいね。うなぎというものは、素人にはちょっといじれない。ところが法を心得ているものには実に簡単だ。その第一のコツは、自分の手を水温くらいに冷たくしておくことだ。そしてこの冷たい手でうなぎの尻の部分を軽く握るんだね。すると、うなぎは前へ逃げるかと思うと、反対に手の方へ入って来る。そこがうなぎの習性で、うなぎは岩かなにかに触れたとでも思うのだろう。そして穴の中へもぐり込むような気で手の中へぐうっと入ろうとする。こうしてうなぎの体に力の入った瞬間に、職人はすっとそれを前へ押し出すようにして俎上《そじょう》に載せてしまう。だから見ていると実に不思議なほど簡単だ。それを知らないでだね、あったかい手をして首玉のあたりを握ったりなんかするから、うなぎはくねくねして扱いにくい。名人とかいわれるほどの職人はそこがちがうんだ。そしてとんと首のところを打って、うなぎが一瞬間精神|朦朧《もうろう》として、ぼんやりしているところにつけ込んで、クー、クー、クー、と三遍で尻まで裂いてしまう。この技術は関西では見られない。東京の職人のいいところだね。
だがこのうなぎ裂きよりむずかしいのは、どじょう裂きだ。素人はどじょうの方がやさしいと思っているがどじょうには細かい肋骨《ろっこつ》がある。あれを肉の方へ残さず、といって骨の方へ肉をつけずに、具合よく裂くということがなかなか容易でない。僕もずいぶんやってみたが、うまくいかんものだ……。
飢餓は食を弁ぜず
そうだ何日か江州へ鴨[#「鴨」に傍点]を食いに行ったことがある。鴨というとなんとなくかしわよりはうまいような気がするんだね。ひともそういうし、自分でもそんなふうに思うんだね。そこで江州の鴨が美味いというんで、あの辺でご自慢のものだから、これを食った。なんでも一週間か十日も鴨ばかり食っていたろう。別に特にうまいとも思わなかったが、まずいとも考えなかった。ところが、その終りごろさんざん鴨を食ったあとで、一日かしわを食ってみた。すると、かしわの方が鴨より数等美味かったので驚いた。これには鴨を食って損をしたような気がしたね。
だから物は自分で食ってみんことには承知出来ない。ところがだね、いわゆる食通でございと称して食べ物の本などを書いているものに、ろくに食いもしないでものをいっているものが多い。いのししは昔はどうして食ったとか中国ではどういう字を書くとか、そばは何科の植物でどうやって打つとか、いろいろ知ったか振りをしているが、その実そばひとつ真から自分で味わったこともないのである。なんのことはない、そういうものは辞書のうけ売りなんだね。さっきのてんぷらでもそうだ。やれ天金がどうのこうのというか
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