あって軍司令部に勤めていた。ところがこの司令部へ持って来る親子丼がうまい。変な話だが、その卵がいつも半熟で加減がいいんだね。あれは今でも不思議に思っている。も一つ朝鮮の食い物で記憶に残っているのは、京城(ソウル)から新山へ行く途中に大きなせりがつくってある。大きいのなんの、太くて長い、二尺五寸もある。まるで藪《やぶ》をなしているんだが、みるからにやわらかそうで、食ったらさぞ美味いだろうと思われる。でそこを通るたびに羨《うらや》ましくてならなかった。僕はその前から水菜のパリというのが非常に好きだった。水菜をさっと茄《ゆ》でて食うのだが、さっと茄でたものは翡翠《ひすい》のようないい色をしていて、食うとパリパリする。非常に美味い。これは煮過ぎては、色も悪くなるし香気もなくなり、食ってもパリパリしなくなって、わずかな加減でだめになるが、僕はそのせりをみるたびにこのパリをやったら美味かろうと考えていた。そしてある日とうとうそこの内儀さんに頼んで、その大きなせりを買って来て、せりのパリをやってみた。いや、実に美味かったね。いい若い者がせりばかりを悦に入って食っていたんだから、傍からみたら変に思ったろうがね。
豆腐の味
総じて味のないもの、ぬるぬるしたものや、ぐにゃぐにゃしたものには美味いものが多い。豆腐、こんにゃく、やまいものごときものがみなそうだね。
中国料理にパイモールというものがあるね。銀耳《インアル》と書くが要するにきくらげだが、これが目方において黄金と匹敵するとまで尊重されている。一匁一円二十銭だから水につけるとぐっと膨《ふく》れるからそれほど高いものでもないが、やはり、この種の美味の範疇《はんちゅう》に属するといえる。北陸のいたわらびなどもそうだが、こういうものの味がわかるようにならんと困るね。
味は舌だけで味わうものでない。僕等もうんと豊富に食わんといかん。豆腐のごときは殊に舌ざわりが大切だから、生で食う時には絹ごしがいいが、煮て食う場合には、むしろ普通の豆腐がいい。少しざらっとしていても煮ると感じが少し変わってくる。なにか化学的な変化でも起こすのではないか、舌ざわりがとろっとしてくる。それには普通の目の粗い豆腐がいい。いい豆腐というが、普通煮て食う場合には、そこの関係でうまく食えるもんだから、せいぜい食うんだね、ハハハァ……。
にんにく
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