まれ、原料としての大豆を選択して、製法は飽くまでも機械にたよらず、人力で努力することによって、私もすばらしい豆腐をつくれるようになった。豆腐そのものがよいから、生の豆腐にいきなり生じょうゆをかけて食べても、実に美味い。あえて煮るまでもない。焼き豆腐はいうに及ばず、揚げ豆腐に拵《こしら》えても、飛竜頭《ひりょうず》に拵えても、これが豆腐かと疑われるばかりに美味かった。湯豆腐に舌鼓を打って楽しまんとする人は、こんな豆腐を選ばなくてはならない。
 嵯峨《さが》の釈迦《しゃか》堂付近、知恩院古門前、南禅寺あたりの豆腐も有名だが、いずれも要は良水と豆に恵まれたせいだろう。

 湯豆腐をつくるには、次のような用意がいる。
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一、土鍋 土鍋があれば一番よいが、なければ銀鍋、鉄鍋の類《たぐい》でもいい。その用意もなければ瀬戸引き、ニュームなどで我慢するほかはない。が、これらは感じも悪いし、煮え方がいらいらしておもしろくない。こんろか火鉢にかけてやる。
一、杉箸 湯豆腐を食べる箸は、塗箸や象牙《ぞうげ》箸のようなものでは豆腐をつまみ上げることができないから、杉箸
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