ための第一条件であるいい昆布が、東京では素人の手に入りにくいから、なおさらむずかしい。
それなら、京都の豆腐は今なおどこでも美味いかというと、どっこい、そうはいかない。今日では水明の都でも、水道の水と変わり、豆をすることは電動化して、製品はすべて機械的になってしまったのみならず、経済的に粗悪な豆(満州大豆)を使うようになったりなどして、京都だからとて、美味い豆腐は食べられなくなってしまった。
ところが、わずかに一軒、京都の花街、縄手四条上ルところに、昔ながらの方法を遵奉して、よい豆腐をつくっている家があった。その家の豆腐のつくり方は秘法になっていて、うかがわんとしても、うかがえないことになっていた。ところが、私は運よくその家の主人の了解を得て、家伝の秘法を授けられることになった。おかげで、本家本元の豆腐に優るとも劣らぬ豆腐ができるようになった。それも一《いつ》に、私の家に豆腐に適するすばらしい良水が湧出《ゆうしゅつ》したためであった。
いかに京都で秘法を授かって来ても、良水を欠いたら、いい豆腐はできなかったであろう。残念ながら、縄手のこの店も、今はなくなってしまった。
良水に恵
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