らし病気ばかりしているひとびとの姿は、まことに笑止千万といいたい。ラジオ、テレビ、雑誌で毎日のように栄養を説いているが、これは栄養失調者がこの世の中にいかに多くはびこっているかを物語っているものといえよう。
 幼稚な栄養研究者は、栄養食と栄養薬を混同しているようである。栄養食とは口に美味で人間を楽しませ、精神の親となるもの。栄養薬とは病人をいよいよ病人にするばかりの不愉快きわまりないもの。もう一度いってみよう。栄養というものは人間が自己の欲求して止《や》まぬところの美味。これを素直にとり入れ、舌鼓打ちながら、うまいうまいと絶叫し続けるところに、おのずと健康はつくられ、栄養効果は上がるのである。多くの実例が示すように、栄養食がまことにまずいものと評されているようでは、理屈通りの栄養効果は望めるものではなかろう。
 食を説くかぎり食品そのものの持つ特質を鋭敏に察知し、そこから料理を工夫発見し、合法的に処理するなら、食ってうまい。うまければ栄養は申し分なく発揮され、身心|爽快《そうかい》、健康成就と落ちつくのである。こうなれば料理の考え方も芸術的になり、おもしろくもなるというのである。世間の
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