《すべ》を知らないし、また意欲も足りない。
 わたしにしても美味道楽七十年、未《いま》だに道をつくすとはいい得ない。ただ道を楽しんでいるまでのことである。しかし、七十年も絶え間なく美味生活に没頭した結果、さすがに突き当たってしまい、最高の美味というていのものはほとんど影を没し、まことに不自由この上もないところに至ってしまった。「歓楽きわまりて哀情多し」の感なきを得ない。これが今日のわたしである。
 わたしを知る多くの者は、そうなって不幸だと思う。そうかもしれない。どうやら美食癖七十年の成果は不幸に終わったようだ。嘲笑《ちょうしょう》に価するらしい。
 しかし、ひとの世でいろいろ与えられている天恵の中でも、命をつなぐ「食」、これをおろそかに受け取ることは相済まぬことである。数千数万の食物は、一々別々の持ち味をもっていて、人間に無上の楽しみを与えている。この一々の持ち味を受け取ってありがたく享楽するのが食事であり、料理の道理である。下手な料理で、ものの本質を殺し、せっかくの持ち味を台なしにしてしまうごときは、天に背くものといえよう。食ってうまくないものを怪しみもせず、無神経に食べて、腹ふく
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