、ただやかましくいうだけのことではなく、食器そのものを愛し、取り扱うことが楽しみであり、その食器をいたわりいたわり扱うというところに、料理との不二《ふに》の契《ちぎ》りが結ばれるのです。食器が楽しいものになれば、必然、料理が楽しいものになるのです。それはあたかも、車の両輪のようなものでありましょう。
結局、料理は好きでつくる以上の名法はない
実際、料理といいますのは、好きでつくるというのでなくてはなりません。それが趣味であります。ただ知って美味くつくるという知識だけではなく、温かい愛情で楽しみながらやるという気持であります。だから、食器のことなども心がけることによって、美術の趣味を深くすることができます。そうしてだんだんと調子の高いものを求めることです。みなさんが帝展をごらんになれば、いいお気持になられましょう。それは美術に対する要求が満足するからです。ところが、さらに高くなると、博物館へ行くということになります。食器の美的鑑賞も向上してくるのでありますし、食物の上にも美をそういうふうに表わすようになります。すなわち、切り方だとか、盛り方だとか、色だとか、いろいろなことに心が届くよ
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