こと
魚とか鳥とかの大きいものは、相当時間が経過して味のよくなるものがあります。けれども小さいもの、鳥でいえば、鶫《つぐみ》とか鶉《うずら》とか雀《すずめ》とか、魚でなら、いわしとかあじとかいいますものは、獲《と》りたて、または締めたてでなくては美味《うま》くありません。
大きいものならば、海から山から得て、五日あるいは三日を経過して、かえって味がよいものがあります。
生きた食器、死んだ食器
そこで食器のことになりますが、せっかく骨折ってつくった料理も、それを盛る器が死んだものでは、まったくどうにもなりません。料理がいくらよくても、容器が変な容器では、快感を得ることができません。私は生きた食器、死んだ食器ということをいっておりますが、料理を盛って、生きた感じがしますのと、なにもかも殺してしまう食器とがあります。茶人という者になりますと、向付《むこうづけ》に五千円、なにに五百円という具合に、よい器を欲します。それは生きた食器だからであります。食器が下《くだ》らぬものでは料理まで生きませんから、料理と食器とが一致し、調和するように心がけるのであります。
その食器を選ぶということも
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