美食には必要となります。生きた野菜でなければ、真の美味は摂取できないわけです。
さかなや野菜の生きているか死んでいるかを見分けるには、さかなでは容易に分っても、野菜では簡単に判《わか》りません。だから野菜では採りたてがよい、採りたてに近いほどよいとしてあります。たいなど大きいものになりますと、一日二日おいた方が、かえって味がよいこともありますが、野菜は採りましてからも、ある期間、不自然な発育をしていますから、その処理に工夫を要します。例えば、ねぎにしますなら、青いところを摘んでしまって、白根だけにしておきます。それでないと、青い部分を育てて白根の養分をなくしますから、そうしないようにする。また、だいこんでありましたら、葉をつけたままだと、葉を育てるためにだいこんの方から養分がとられますから、葉を切り放して、葉はすぐ糠味噌《ぬかみそ》に入れるなどした方がよろしいのです。
野菜を扱うのには、このようなちょっとしたコツがあると思います。けれども、なんといっても、採《と》りたての野菜を、すぐさま使うよりよいことはないのであります。
魚も鳥も大は、ある時を経てよし、小は、新鮮にかぎると知る
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