と思います。そのおつもりでお聞きを願います。
料理とは理《ことわり》を料《はか》ること
料理とは食というものの理《ことわり》を料《はか》るという文字を書きますが、そこに深い意味があるように思います。ですから、合理的でなくてはなりません。ものの道理に合わないことではいけません。ものを合理的に処理することであります。割烹《かっぽう》というのは、切るとか煮るとかいうのみのことで、食物の理を料るとはいいにくい。料理というのは、どこまでも理を料ることで、不自然な無理をしてはいけないのであります。
真に美味《おい》しい料理はどうも付焼刃《つけやきば》では出来ません。隣りの奥さんがやられるからちょっとやってみようか、ではだめであります。心から好きで、味の分る舌を持たなくては、よい料理は出来ないのであります。
料理は相手を診断せよ
自分の料理を他人に無理|強《じ》いしてはなりません。相手をよく考慮して、あたかも医者が患者を診断して投薬するごとく、料理も相手に適するものでなくてはなりません。そこに苦心が要《い》るのです。医者が患者の容態《ようだい》が判《わか》るように、料理をする者は、相手の嗜好《しこう》を見分け、老若男女いずれにも、その要求が叶《かな》うようでなくてはなりません。相手の腹が空《す》いているかどうか、この前にはどんなものを食べているとか、量とか質とか、平常の生活とか、現在の身体の加減とかを考慮に入れなければなりません。それは充分、料理の体験がなくてはならぬことであろうと思います。
甘い、辛《から》いということも、甘ければ甘いで美味《うま》く、辛ければ辛いで美味いというふうに、どんな味であっても嗜好に叶うという、すなわち、ものの道理に背《そむ》かない味でなくてはなりません。それですから、ただ眼《め》で見ることばかりではだめでありますし、また、料理は舌の上が美味いのみでも足りません。まず目先が変わるとか、色彩の用意が異なるとかいうことで、つまり、感覚の全体に訴えて満足するとか、美味くなるという総大観になるのであります。名医となることも、名料理人になることも、容易ではありません。
原料第一――選定
さて、原料は鳥にしても、あまり成熟しない中くらいのものがよろしいのでありまして、真に賞味出来るのは、そういうものであります。たいについて申しましても、四、五百|匁
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