、ただやかましくいうだけのことではなく、食器そのものを愛し、取り扱うことが楽しみであり、その食器をいたわりいたわり扱うというところに、料理との不二《ふに》の契《ちぎ》りが結ばれるのです。食器が楽しいものになれば、必然、料理が楽しいものになるのです。それはあたかも、車の両輪のようなものでありましょう。

結局、料理は好きでつくる以上の名法はない
 実際、料理といいますのは、好きでつくるというのでなくてはなりません。それが趣味であります。ただ知って美味くつくるという知識だけではなく、温かい愛情で楽しみながらやるという気持であります。だから、食器のことなども心がけることによって、美術の趣味を深くすることができます。そうしてだんだんと調子の高いものを求めることです。みなさんが帝展をごらんになれば、いいお気持になられましょう。それは美術に対する要求が満足するからです。ところが、さらに高くなると、博物館へ行くということになります。食器の美的鑑賞も向上してくるのでありますし、食物の上にも美をそういうふうに表わすようになります。すなわち、切り方だとか、盛り方だとか、色だとか、いろいろなことに心が届くようになるのであります。結局、料理というものは、好きでやるのでなくてはだめだということになるのであります。主人がやかましいから一応知っておかなければ、というような了見《りょうけん》では高《たか》の知れたものであります。好きでおもしろく、楽しんで料理をおやりになられるまで進まれるように希望いたします。
 終わりに、醤油《しょうゆ》について、ひと言申し上げておきたいと存じます。濃口《こいくち》醤油ではどうもよい料理ができないのです。薄口というのがあります。これは播州竜野《ばんしゅうたつの》でできるのですが、関西では昔から使われています。東京にはこれまでありませんでした。近頃、山城屋には置いています。実際、薄口でなければ、ほんとうによい料理はできません。色はつきませんし、しかも、値段は安く、塩分が多いからよくのびて、経済からいっても大いに安いし、まったく料理には薄口がなければならないといってもよいでしょう。
 それから、刃物のことなどもお話しいたしたいのですが、時間もございませんので、簡単にいいますが、どうか刃物もよく切れるのをお使いになっていただきたい。そしてよく切れると、切るのがおもしろい
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