鍋料理の話
北大路魯山人
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)献立《こんだて》
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(例)たれ[#「たれ」に傍点]
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冬、家庭で最も歓迎される料理は、なべ料理であろう。煮たて、焼きたてが食べられるからである。
なべ料理では、決して煮ざましを食べるということはない。クツクツと出来たての料理を食べることが、なによりの楽しみである。だから、なべ料理ほど新鮮さの感じられる料理はない。最初から最後まで、献立《こんだて》から煮て食べるところまで、ことごとく自分で工夫し、加減をしてやるのであるから、なにもかもが生きているというわけである。材料は生きている。料理する者は緊張している。そして、出来たてのものを食べるというのだから、そこにはすきがないのである。それだけになんということなく嬉《うれ》しい。そして親しみのもてる料理といえよう。
しかし、材料が鮮魚、鮮菜という活物《いきもの》が入った上での話である。入れるものがくたびれていたのでは、充分のものはできない。これは、なべ料理にかぎらぬ話であるが、念のため申し添えておく。
家庭でやるなべ料理は、原料はこれとこれだけと、決っているわけではない。前の晩にもらった折詰《おりづめ》ものだとか、買い置きの湯葉《ゆば》だとか、麩《ふ》だとか、こんにゃくだとか、あるいは豆腐を使おうと、なんでも独創的に考案して、勝手にどんなふうにでもやれるのである。「なべ料理」のことを、東京では「寄せなべ」というが、上方《かみがた》では「楽しみなべ」ともいっている。なぜ「楽しみなべ」というかといえば、たいの頭《かしら》があったり、蒲鉾《かまぼこ》があったり、鴨《かも》があったり、いろいろな材料がちらちら目について、大皿に盛られたありさまが、はなやかで、あれを食べよう、これを食べようと思いめぐらして楽しみだからである。
「楽しみなべ」という名称は、実によくあてはまっている。しかし、「寄せなべ」というのは、なんだか簡単すぎて感じのよい名前ではないと思う。「なべ料理」は先にもいった通り、材料がいろいろあるし、それを盛る盛り方にもなかなか工夫がいるのである。この点を注意しないで、ぞんざいに扱うと、いかにも屑物《くずもの》の寄せ集めみたいになってしまう。
関東の風習は、薄く平らに
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